孔子曰く、
『四十にして惑わず』
『五十にして天命を知る』

などと言わないまでも、これからの10年を迷わず仕事したいものである。 

4/2
 読んでくれた方皆様、ありがとうございました。しばらく雲隠れしてこのブログをリニューアルしようと思います。今、特別思い当たることもないのですが、復活はしようと思っています。Y先生も1年間通して担任してくれるということになり、、幼稚園は6人の担任を確保することができました。やはり、この幼稚園の先生たちの団結の強さを思っています。ありがたいことです。私もますます頑張らねばと思っています。G,W明けには復活するつもりです。しばらく雲隠れします。ありがとうございました。


3/26
 卒園児達が小学校卒業を報告に来てくれた。先生達から「人参食べられるようになった?」とか「私の身長を超えてしまった!」とかいろいろと話が弾んでいた。私は傍ら、聞く人に徹していたが、こんな風景は良いものである。こんな風景こそがこの幼稚園の良さであり、願いでもある。教育目標などが理屈で作られるよりも、子ども達の健やかな成長を願う先生達がいて、卒業を報告しに来てくれる卒園児がいる。どんな教育目標よりも立派な実践の足跡である。どうもここの所、理屈で教育を図ろうとする文科省の指導があり、理屈の苦手な私達は戸惑っている。「より良い幼稚園に」などと、目的は理屈に適っていても、理屈が教育ではない。日々子ども達と先生達が肌のぬくもりを感じながら過ごす、それが幼稚園教育だと思う。幼稚園教育の父、倉橋惣三は書いている。「日向ぼっこしながら子ども達と過ごす、この喜びを…」と。

3/25
 今日で一応教職員の出勤は終わる。しかし、残務整理が終わってなくて、多分明日もみんな出勤するのではないだろうか。ケヤキも芽吹き始めた。桜はもうすぐ咲き始めることだろう。園庭南側のコブシは、日々花の数を増している。造園業者は「彼岸が過ぎたら…」と言っていたが、一向に来てくれる気配がない。タケノコがそろそろ芽を出す頃なので、朝出勤しては確認に行くが、今のところ出ていない。昨日は一日かかって衣装の整理をしていた。かなりの数なので、先生たちも大変である。私は途中入園の面接や手続きをしていた。さて、今日は小学校の卒業式、皆に「おめでとう!」のエールを心を込めて贈ろう。届くかな?

3/24
 さて、明日は小学校の卒業式。招待状は届いているが、ここの所欠席させてもらっている。卒園児たちの小学校卒業を祝福したいが、あまりに忙しすぎてそんな時間が取れない。昨日届いた風のうわさでは、卒業式を終えて、幼稚園に駆けつけるという。報告に来るという。嬉しいことではないか。それも、この園では厳しいといわれている先生のクラスの卒園児達である。担任と子ども達、私には見えない深い心の結びつきがある。傍目には厳しいといわれていても、担任の熱い心は子ども達に確実に伝わっている。そんな心の結びつきを、アンケートという無慈悲な意見は蹴とばした。残念でならない。

3/23
 彼岸花にソメイヨシノは花が咲いて葉が出てくる。自然の理に適っていない。と、言ったからと言って、どうゆう訳でもない。何故に、葉が出る前に花が咲くのだろう。皆に愛でてほしいばかり咲き急ぐのであろうか。また、ソメイヨシノには実がならない。同じ桜でも山桜にはさくらんぼが実る。さくらんぼが実れば鳥たちがやってきて食べる。食べ物のおすそ分けである。ソメイヨシノは美しく一気に咲いて、散ってゆく。その散際は桜吹雪となって美しいが、何ともそれだけではもったいない。幼稚園には桜は植えてなかったが、最近は幾本かある。毛虫がつくので厄介だったので植えなかった。とげのあるバラも厄介だった。ボールがみんなパンクしてしまう。とげのない蔓バラに花芽がついた。黄色の花が咲く蔓バラには花芽がついたが、白い花の蔓バラには花芽がつきにくい。みんなそれぞれ理由があるのだろうが、厄介なものだ。


3/22
 彼岸の中日ではあったが、墓参りすることもなく過ごした。出勤はしたが、なんとなく仕事が手につかず、無駄な一日を過ごしてしまった。今日は2Fテラスの芝刈りをしよう。踏みつけられて横になびいてしまった芝も、今日は立ち上がっていることだろう。それから、エアコンの掃除、それから片づけ。することはたくさんあるが、自分一人でしてはいけない事はわかっている。分かってはいるが、やってしまう私。仕事は分掌しなければいけない。明日の午前中は預かり保育を担当する。これもやってくれる人がいないのである。活躍する場があることは良いことであるが、それにしてもやりすぎ?


3/20
 何が一番かというと、子ども達を事故なく、怪我なく送り出すことだ。そういう意味では、大きな事故もなく送り出せたのは良かったと思うが、これで結構心の中が見えなく、果たしてベストだったかいうと、ベター程度だったと思う。そう思うことにしている。今日は終業式、進級する子どもたちにエールを送る。次年度のクラス発表の日でもある。ほぼ平均に分けたつもりではあるが、、子ども達の成長は早く、一年後にはどうなっているのだろう。


3/18
 今日の日は「別れ」の日ではない。「旅立ち」と日である。大空高く羽ばたくこの子らにエールを送る日である。時には休みたい時もあろう。向かい風の時もあろう。羽ばたくということはなかなか大変である。だが、空高く舞い上がったならば、滑空という手もある。風さえ読めば、羽を休めることだってできる。船を操船する私は、荒波の中ではエンジンをスローにして波を読む。決してエンジンを全開にしてはいけない。向かってくる波に対し、45度の角度で進めば、船は転覆することはない。「旅立ち」の日に贈ろう。風を読め、羽を休めろ。

3/17
 明日は卒園式。心配していた天気もよさそう。今日はその準備。年長児にとって幼稚園での最後の遊び。何を出してあげよう。私にはそんなことをしている時間はなさそう。卒園制作が休みの子がいて終わっていない。卒園制作を完成させて写真を撮り、式次第に乗せなければならない。昨日は気の進まない月曜日であったが、何事もなく終わった。そんな日ってあるものである。そして今日、明日の準備の中で、音響の準備もする。音響はいつものIさんが来てくれる。文化協会の役員会があるが、それは欠席にする。「どうしたんですか?」と保護者の一人。ネクタイをしている私を見て、そう言った。結論。ネクタイは私には似合わないそうである。仕事着が私のトレードマークのようである。

3/16
 なんだか気の進まない月曜日。あれほど大好きだったにもかかわらず、今日はなんだか変だ。卒園制作も今日で終わる。重い作品をみんなで運ばなければならない。それに、先週末の工事で水の濁りが取れず、水筒を持参する旨を伝えたが、飲料用の水も購入した。朝は集会。午後一番はJ:COMの会議。卒園証書書きはほぼ終えている。あっちこっちに蛇行しながら今日まで来た。この先、まだ曲折が来るのだろうか。少しばかり不安。

3/15
 良い話ばかりではない。3学期になってトイレにものが落ちていることがたびたびあった。意図して隠したとは思いたくないが、事実は事実だ。もしこれが意図的であったとすればこんなに悲しいことはない。単なるいたずらにしてもほってはおけない。各クラスで注意はしてきたが、いよいよ私の出番となった。明日、年長児だけ集めて話しする。年中児も同席したいとの申し出があったが、話の内容が重いので、理解はしにくだろうと断った。犯人捜しなどするつもりはない。悲しい心を伝えようと思う。この幼稚園の教育目標は「明るく…のびのびと…健やかに…素直に…仲良く…」である。そんな子ども達に育ってほしいと願っているが、仲間や友達に不愉快な思いをさせるのは、良くないことである。悲しい心だけを伝えようと思う。


3/12
 昨日もよい風景を見た。その子は運動会でリレーを走り切れなかった。その子が、昨日の、最後の全体体操の後の年長児がしたリレーで走り切ったのである。走りの遅いその子を担任は補助しようと駆け寄ると、その子は担任の補助を振り切って一人で走り切った。信じるものである。その子は確実に成長していた。私達には見えないその子の心の中、その子なりの成長を果たしていたのである。そんなことの後、1通の手紙が届いた。「実名です」とは、過日行ったアンケートの結果を意識してのことだと思う。お父様から皆への感謝の手紙であった。素晴らしい幼稚園生活を送らせてもらったと。私達に障害児に対する指導のプロはいない。しかし、私達はコミュニティーという場を持っている。子ども達のコミュニティーは障害児であっても受け入れる。これが当たり前のコミュニティーであると思っている。そんなコミュニティーを形成している子ども達は宝である。


3/11
 思えばあの日、年長児の懇談会をしていた。そして今日、時同じく年長児の懇談会である。大きな揺れが来て、「建て替えてよかったですね!」と言われた。そう、あの園舎を覚えている方は少ないと思う。作品展で絵を貼ろうと水平を翳すと、驚くほどの狂い。よく持っているものだと思った。建て替えを提案して、完成。引っ越しが3月1日。あの地震、津波で被害をこうむられた方には申し訳ないが、私たちにとっては幸いであった。揺れの後、小学生が帰宅し始めたとの情報に、懇談会を中止した。あれ以来、私は携帯とワイヤレス送信機は手放せなくなった。傍目には仕事中携帯を腰から下げているかのように見えるかもしれないが、決して個人的な使用を目的にしていない。地震情報を受信するためである。私がどこからでも放送できるワイヤレス放送設備を設置したのも功を奏している。最近は目を疑うような事件が放映されている。「殺してみたかった」とか「万引きを断ったから」とか、私たちは伊達にザリガニを育てているのではない。ザリガニの飼育の延長上にあるものは、「命の大切さ」である。口にこそ出さないがそう思っている。過日、年中児が私を呼びに来た。「タンポポの芽だね!」と。そこを年少児が通りかかって、踏みつけていった。呼びに来た子が叫んだ。「だめ!生きているんだから」と。私は確信した。私たちのささやかな教育はここに生きていると。

3/10
 クラス編成の会議があった。進級する学年でバランスを見る。活発さやその他諸々の要素を考え、決定する。中には、仲が良いから離す場合と、仲が良いからくっつける場合とがある。また、徒歩通園児の数や誕生月も考慮に入れる。そんなこんなで最終決定する。だからと言って、総てバランスが取れているかといえば、これからの成長もあり、担任する先生の個性もあってそうとも言い切れない。クラス編成は私が考えるのではなく、皆で決める。ただ、先生たちは子ども達から質問されると、「園長先生が決める!」と逃げる。私のところに子ども達が来た場合は、「じゃんけんだよ!」と私もはぐらかす。可哀想なのは子ども達である。

3/9
 待ちに待った月曜日。などと、たった二日のことである。私達にとって子ども達のいない時間は、時間ではない。子ども達がいて、初めて仕事ができる。子ども達がいるからこそ充実した時間を過ごすことができる。さて今日は避難訓練が予定されている。天気はどうにか持ちそうである。年長児は避難訓練の終わるのを待って卒園式の練習をする。年長児にとって、最後の大仕事である。そして明日はお別れ会。その準備を保育終了を待ってしなければならない。なんにしても慌ただしい1週間となる。立ち止まってなんかいられない。さー さー仕事仕事。

3/8
 天気がよろしくない。昨日卒園証書を書こうと思っていたが、書く前段階ができていなかった。そこで、書くのは中止し、ホールの準備をすることにした。明日は卒園式の練習である。マイクが数本必要で、どこからコードを引こうかと思案し、マイクスタンドを立ててみた。なかなか思うようにはいかない。ワイヤレスはマイクのスイッチを入れて使えるようになるまでに微妙な遅れがある。そこであまり使いたくない。スピーカーの延長コードが本来の物ではないことに気づき、大泉のハードオフに走った。行ってはみたものの、過日見たコードは売れてしまってなかった。こんなことをしているのが楽しいのであるが、どうも園長の仕事ではないようにも思う。そう思うがこれが結構楽しい。

3/7
 早いなー。来週は午前保育になってしまう。今日は卒園証書を書くことにしよう。決して毛筆での書状がうまいわけではないが、卒園児一人一人の名前を書くことで、顔や思い出を記すことができる。顔や思い出を記しながら、詫びも入る。日々の保育はうまくいくことばかりではない。時には失敗もし、「ごめん!」と、心で詫びることもある。それもこれもみんな思い出である。子ども達の健やかな成長を祈りながら、名前を書く。最近は子ども達の呼び名と漢字が一致せず、書きながら「こんな字を書くんだ」と思うこともある。漢字には「止め」や「跳ね」があり、私は結構いい加減である。そんな訳で、卒園証書を書きながら最後の詫びをする。「ごめんね!下手な字で」と。

3/4
 さて、舞台上で演じたオペレッタ。私の構想はまだ確認できていない。演出が市民会館の舞台を想定したものだったので、どうしても広さに無理があり、窮屈であった。そして今日、他のクラスが演じる。私の期待に沿ったものであってほしい。ただ、音響は市民会館のそれよりも勝っていたように思う。今日は午前中雨の予想。ホールでの遊びとなる。昨日は大変良いことがあった。1Fの水が出ないとのこと。行ってみると、バルブが閉まっていた。そして、触った人はいないかと聞いてみると、名乗り出た子どもがいた。「えらい!」こんな素直な子どもたちを育てたい。担任とともに褒めた。

3/3
 桃の節句。ひな祭り誕生会と劇の見せ合いをする。生活発表会では子ども達はお互いのオペレッタを見ていない。そこで、今日、明日とオペレッタの見せ合いをする。もちろんオペレッタは舞台上で演じる。私の密かな願いが叶う日でもある。このホールを設計するにあたり、舞台上で演じたものが、客席のどこにいてもよく見えるように、そして声が隅々まで届くように、反響版を設置した状態を考えて設計した。設計の段階でいくら説明してもみんなには理解してもらえなかった。そんな状態で今日まで来たが、今日は私の構想が良かったかどうか、確認できる日である。楽しみである。

3/2
 昨日は順調に卒園制作の準備ができた。今日は下地のペンキを塗る予定。子ども達もやってくる。グランドの様子はどうだろう。昨日の雨は痛い。お雛様も飾った。だが、桃の花がない。買ってこなければならない。梅は咲き出したが、昨年枝を詰めたので、花の量は少ない。仕方のないことである。そして今日から、来年度採用予定の方が、パートとして出勤してくる。昨年度の苦い経験で、この幼稚園のことをよく知った上で契約に進めたい。また、いじめだなどとありもしないことを言われ続けた。先生たちはどんなにつらかったか。責任ある仕事は生易しいことではない。苦言も言わなければならない。去って行った先生の中途半端な仕事を今、訂正している。保護者には見えないことである。

3/1
 3月になった。卒園式まで指で数える。今日はどうしても卒園制作の準備をしなければならない。月日の流れるのは早いものである。後がない。

2/25
 今日は生活発表会の記念写真撮影。それに卒園記念のアルバム用の写真撮影もある。初めは卒園記念用であるが、これが結構時間がかかる。写真屋さんは高所恐怖症であるというが、仕事となるとそんなことも言っていられない。結構無理をする。また、逆光も気にしていた。まあーまあー、やるっきゃーないのである。そういえば、市民会館から帰ってきて、お面が一つ足りないと大騒ぎ。いろいろ探したがない。写真撮影の時、ないと大変である。すったもんだした挙句、家庭に電話すると、持っているとのこと。事なきを得たが、そんなこともあるのである。

2/24
 信じてみることは間違っていなかった。子ども達は2日間の休みを挟んだにもかかわらず、よくやってくれた。細かく言えば反省はあるが、それは2日間の休みが挟まっていなくてもあったであろう。これでひとまずめでたし、めでたし。皆様のご協力に感謝である。会場内の一般席の席取りも、うまくいったと思っているがどうだろう。欲を言えば、祖父母の方への配慮をもう少しどうにかしたかった。さて、明けて今日は私の仕事ができる。大道具の片づけと、花壇の囲いの改修をしよう。枕木も用意してある。天気も上々。ただ左腕の筋肉痛。大道具を運びながら、軽いからと不自然な持ち上げ方をしたのがいけなかったのだろう。コーヒー茶碗を持つのにも痛みを感じる。だからと言ってやめるわけにはいかない。さあー頑張ろう。

2/23
 本番当日。この2日間の休みがどう出るか。昨日は二人のお父さんの手伝いを得て、どうにか準備が間に合った。ありがたかった。そして、私の心配も危惧に終わり、信じて祈るのみ、と普段言っている割には、心配ばかりする自分が情けなかった。さて今日も信じて祈る訳であるが、その心を忘れないようにしよう。子ども達はきっとやってくれるであろう。

2/22
 いよいよ明日は生活発表会本番。この二日間の休みが痛い。不安だけが残る。そして今日は準備。市民会館で遅くまでかかるであろう。昨日は久しぶりに園を離れた。枕木の買い出しに相模原まで行ったが、1本道を間違えて相模湖まで行ってしまった。そもそも津久井湖に住む友人のところに寄ってからと思っていたので、相模湖も津久井湖も近くなので道を間違えたのを知ってからもそのまま走り続けた。相模湖経由津久井湖へ。友人に夏みかんとフキノトウを届け、枕木の買い出しも終えた。帰途、温泉によって一風呂浴び、昼食をとって帰ってきた。帰園すると一人の先生が仕事していた。これでほぼ終わったといっていた。よし、よし。朝一番の仕事は枕木を下ろすことから始まる。そして、大道具を積み込む。先生たちの出勤を待って市民会館へ。そうだ、コーラスの日だ。欠席を連絡しなければ。

2/21
 「保護者には伝わらないとはどういう意味?」と質問された。詳しくは説明しなかったが、私達の努力や苦心は縁の下の力で、目には見えにくいと返答した。納得してくれたが、目には見えにくいし、渡された衣装が大きすぎれば皮肉の一つも言いたいだろうし、ぴったりだと当然と思うであろう。オーダーメイドではない。勘弁して、と言うほかない。ホールでは最後の練習が行われていた。ほとんどのクラスのオペレッタが完成に近かったが、今日からの二日間の休みで、本番がどうなるのか予想がつかない。休日を挟んでの本番は避けてきたことである。仕方ないこととはいえ、担任はもとより私も心配している。前日運び込む大道具類を園バスに積み込んだ。今回は、なるべく組み立てたままで運ぼうと思う。大工さんの心得のある方の助っ人がいない。私一人ではどうにもならない。「3分時間をください!」と子ども達が押し寄せる。年長のクラスは15分を目安にオペレッタを組み立てるようにしている。ところがどうしても18分かかってしまうという。担任は、「15分で終わらないと園長先生に電気を消されたしまう!!」と脅している。そこで子ども達の懇願である。そんなことも、皆で頑張る意識を高める方法である。

2/19
 きれいに飾ってあげたい気持ちと、衣装が使えなくなってしまう残念さが浮き彫りになった。衣装に花やガムテープをつけると、はがしてから跡が残る。そこで今年度幾枚かの衣装を作りかえた。昨日はそのことを伝え、協力を求めた。また、裾の丈も同じである。詰めて縫い上げてしまうと、元に戻したとき、ミシンの跡が残る。それらを解決するのはなかなかむつかしい。そしてこの思いは保護者には伝わらない。早退の先生がいたので年長のバス待ちのクラスに入った。なぞなぞをして遊んだが、帰り際、「もう来ないで!」とA君に言われた。「遊べないから」だという。また「もう、飽きた!」となぞなぞの途中でも言われた。楽しく遊ぶということは自分勝手に時間を過ごすことと解釈した。そしてそうもいかないのが集団生活である。自己主張は100点、社会性は50点。

2/18
 今後の天候が悪いので、せめて朝だけは外で遊びたいものと、準備をすると白いものが落ちてきた。準備したそれらをあたふたと片付け、ホールでの遊びとなった。ホールでの遊びは限定されるとはいえ、子ども達は慣れたものでどんどん遊びこんでいく。特に積み木では、毎日作るものが違って面白い。ピアノを弾きだすと、もっと、もっととリクエストが来る。恥ずかしいもので、私の指はそんなに動かない。つたないピアノではあるが、ひとしきり遊んだ。「言ったじゃない!」と衣装の注文。「わかった、分かった!」と了解。そんなことの後で、「16枚あると書いてあるズボンが10枚しかありません!布をください。家で作ってきます!」と。「いいよ、いいよ!」とそれも了解。いつまでかかっても衣装が間に合わない。あーあ。

2/17
 路上駐車のダンプに園バスが接触してしまったとのこと。事の善悪は別にして、看板を背負って運航している園バスのこと、とりあえず謝りに行った。頭は下げるものである。そこの社長さんらしき人が、気持ちよく許してくれた。むしろ園バスの傷を心配してくれた。その上、手ぶらで行った私に対して、タオルまでくれた。人の心は寛容で、許しあえるものであると思った。さて、今日明日と天候が良くない。それを見越して私たちは準備する。衣装はあとどれくらいかかるかと尋ねると返事がない。目いっぱいかかるのかもしれない。そうなると私の仕事が増える。私でなくてもできることを私がしなければならない。子ども達と先生たちは頑張っている。昨日も、どうしても18分かかってしまい、それ以上短縮できないと嘆き節。嘆き節はいつものことなので無視!

2/16
 虹は天井から吊るすという。埃の中から出してみると、今年はきちんとしまってあってきれいだった。そこで、吊るすための補強をつけようと思ったが、どう考えても長くなりすぎて
バスに乗せられない。補強は無理である。会館に行ってからの作業になった。日曜日の午後は私のお昼寝タイムである。これだけは毎週必ず守っている。目が覚めてから買い出しに行く。昨日の買い出しは結構難しいものだった。茶色のスズランテープである。こらがなかなか見つからない。毎年のことである。紫など私たちはめったに使わないものがあり、茶色はない。そうそう、買い物でドイトに行ったついでに、時間があったのでいろいろ見て回った。ゆっくり見てみると私の知識外の物があり、勉強になった。へー確かにこれがあれば便利この上ない。そんなものがたくさんあった。

2/15
 昼食を買って、時間があったのでハードオフへ寄った。一度通り越してから後戻りすると、なんとB-2(YAMAHAのアンプ)がジャンクで出ていた。B-1への部品取りに欲しかったものなのですぐに購入。電気は入るが音は出ないと注意書きしてあった。もちろん音は出なくてもよかったのである。ところが、園に戻り電気を入れてみると、一部のランプはつかないものの、音は出たのである。さらに、部品取りに欲しかった部分は、B-1には使えないことが分かった。さあーどうしよう。実はすでにB-2は1台持っていて、使っているのである。どうしよう。と、まーそんな訳で昨日は遊んでしまった。今日はどうしても虹を組み立てなくてはならない。

2/14
 昨日、近隣4市の幼稚園協会主催の講演会で、松本隆博氏による「働くということ」を聞いた。芸能人の兄ということで、かなり演技も入っていたと思うが、それにしてもよい内容だった。講演を聞いていたのは、先生達ばかりだったが、涙している人もいた。私もあんな風に熱く語りたいものだと思った。熱く歌いたいものだと思った。到底出来はしないが…。さて、私の休日、遊ぶところは決まって幼稚園。枕木の件で電話すると、準備できていたが、電話番号を書いたメモを紛失してしまい、連絡できなかったとのこと。午後2時には店を開けるとのことであるが、その時間に受け取っても、帰園して生活発表会の打合せには間に合わない。後日伺うことにした。

2/13
 リハーサルはあんなもの。各クラス完全に出来上がってはいない。普通、リハーサルとは本番そのもののようにするが、幼稚園のリハは、皆で見せ合って、アドバイスや反省をしあうことが目的。それに、子ども達の気持ちの盛り上がりを、本番当日に設定しているので、リハでは今少しの段階。いろいろと反省を出し合い。今日からの練習に弾みをつける。どうにかグランドで遊べるようになった。やっとである。グランドの水はけの悪さもさることながら、南側の樹木が太陽の光をさえぎって、いつまでも水分が抜けない。自然が豊かということは、メリットもあり、デメリットもある。ただ、確実に春は近づいている。茶色になった芝生の中に、ちらほらと新芽が出てきた。私の目論見の蔓バラの小道、ジャスミンの館の本領発揮も間もなくである。

2/12
 あー楽しい。電気屋さんをして、大工さんをして、一日過ごす。BOSEのスピーカーはダメだった。前回落札したものより程度は悪いが、それでも落札する人がいた。そうしてみると、私が落札したものはラッキーだった。さて今日は生活発表会のリハ。まだまだどのクラスもできてはいないが、区切りをつけてみんなに見てもらうことで、さらなる前進がある。内緒の助っ人を一人頼んだ。どのくらい仕事ができるか楽しみである。また、役員や手伝いの方々にも見ていただく。アドバイスを期待する。東の空が明るくなるのが待ち遠しい。

2/11
 先日買ったBOSEのスピーカーが、同じところから出た。今度は自分用に買いたいが、入札の仲間が増えて中々落札できない。無理はするつもりはなく、今夜が勝負。今日もみんな出勤するという。準備のできた担任は出勤する必要はないので、終わってない人だけである。こうなると気合が入っている人と、仕事の遅い人だけとなる。どちらも我々の仲間であり、良い連中である。私はどうも、今日も買いだしっぺらしい。朝一番はパネルの組み立て、音響機器の移動、そして先生たちへの協力。そんなことが楽しいし、好きである。「建国記念の日」などと私達には関係ない。祝うつもりもなく、貴重な仕事のできる休日である。

2/10
 少しずつ大道具を組み立てている。埃を払うことから始めるのでこれが結構大変。音に気を付け、練習に差しさわりの無いよう組み立てる。練習の様子を見ながら進める。練習を見ていると、あれこれ気になることがあるが、自分が担任だったときのことを思うと、そうはいってもできないんだよなーと思う。子ども達も先生たちも一生懸命である。こんな様子を保護者にも知ってほしい。運動会は学年が主体。作品展は学年とクラスが主体。生活発表会は学年もあるがほぼクラスでの発表となる。極めつけは全クラスでの合唱。発達や集団を意識し、3っつの大きな行事をとらえる。我が子、我がクラスを主体に見つめる保護者。それはそれで仕方ないが、私達はそんなところをとらえている。我田引水か。

2/9
 さて、私の好きな月曜日。昨日もやりました。朝一番は幼稚園。そして上野動物園でお別れ遠足の下見。不忍池から秋葉原まで歩き、今持っている鞄を買った店を探す。新しく買い換えようとの思いから。しかし、その店がない。どうやらつぶれてしまったのかもしれない。その後、蒲田のユザワヤへ。いい年をして、衣装のサテンを物色。やはり本店は品数が多い。それでも、店員の言うのには規模を縮小しているとのこと。ほぼ布の購入は終わった。今日は買った布で衣装を作ってもらう。最近出てきたのが、体格の良い子がいて着れないという。もう一着、その子用の大きめのサイズの衣装を作るつもり。いい幼稚園だと思うのであるが、それでも保護者は手厳しい。

2/8
 先生たちは昨日も出勤していた。大道具一つ作って私は布を買いに浦和のユザワヤへ。そこで失敗をしてしまった。買い物リストの紙を落としてしまったのである。途中までは持っていて、ミシン糸やバイアステープなど細々したものは買い物かごに入れ、いよいよ本命のサテンを選ぼうと思ったところ、リストがない。すぐに歩いたルートを後戻りし、探した。先に買い物かごに入れたリストは床に落ちていたが、サテンのリストがどうしても見つからない。店員さんにも探してもらった。仕方なく見当で少し買ったが、同じ色の物がなかったりして、今日は蒲田の本店へ。朝は上に動物園を下見し、午後ユザワヤへ。今日も二人の先生が出勤するという。「具合が悪くなかったら…」もう一人は「朝一番で出勤し、すぐに帰ります!」とのこと。朝一番で出勤する先生は1時間半かけて出勤してくる。「すぐに帰るんだったら、休んでいたら?」と言うと、「落ち着かないんです!」と。そうなんです。私もそうなんですが、幼稚園にいることが一番の気休めなんです。


2/6
 一週間が過ぎようとしている。天気情報は外れた。ラッキー! 昨日は市役所からの呼び出しで、市内8園の園長が集まり、保育園浪人の救済を頼まれた。これまで市役所からは何ら手助けをされてこなかった我々、「ガッテンショウチ!」とは返事しなかった。もちろん協力はするが、それまでの恨みつらみを心に秘めながら引き上げてきた。依頼の内容とは異なるが、こんなことで市は保育園浪人救済の実績を「努力しました」と外部に語るのであろう。また、課長さんも頭を下げ続け、悔しく思ったことであろう。市との繋がりが少しずつできつつある。昨日やっと許してもらった。A君は鬼が怖かったのだろう。一昨日は挨拶しても振り向きもしなかった。ところが昨日はやっと挨拶してくれた。ラッキー!

2/4
 もー、踏んだり蹴ったりであった。この時とばかり、蹴りは入る、髪は引っ張られる、パンチは食らうで、年長児にとっては鬼退治ではなく、園長いじめであった。年中少児に対してはそれなりに効果はあったと思うが、年長児に対しては、そんな訳であった。もー来年はやめよう。ところで、予想通り雪が解けない。そこで融雪剤を撒くことにした。子ども達に害はないと思っているが、融雪剤に詳しい方がいたら教えてほしい。今日は国音の後輩13名が見学に来る。もちろん幼児教育専攻の学生である。引率の教授は、この園が障害児を引き受けるきっかけを作ってくれた方である。障害を持った子供であっても、コミュニティーで生きることが望ましい。いや、当たり前だと主張した先生である。先生にお会いできるのを楽しみにしている。

2/3
 出会った保護者、そして子ども達から大いに期待されている。なんだかあまり期待されると気がめいる。今日は写真屋さんも来ての豆まきである。ホールでの誕生会が終わってからクラスで豆まき。そして記念車写真。それからが私の出番。怖がりの子にはごめんなさいである。さて、どう演出しようか。最初に音で怖がらせようか。それから煙を焚いて鬼の登場としようか。まったく、いい年をして一人で楽しんでいる私。そんなことがあってもたまには良いではないか。雪の後のグランドは悲惨である。滑るのとぬかるんでとても遊び場にはならない。だが、子ども達にとってはそれが楽しいらしい。気をもむのは私たち大人である。

2/2
 2・2などと、何か語呂合わせができそうな日である。明日は節分、私の出番はあるはずである。昨年は「園長先生は鬼と友達でしょう。鬼に来ないように言って!!」と私の出番はなかった。今年は、今のところそんな要望はない。昨日は「足し算の人生ではなく、引き算の人生」とか「報復には、報復が待っている」とか、肝に銘じたい言葉と出会った。子ども達と過ごしていると、ついそんなことを忘れてしまう。自分の年も忘れ、子どもの思いにのめりこんでしまう。私はそんなことしかできないし、それが大好きである。でもそれだけではいけない。「引き算の人生」を考えなくてはいけない。

2/1
 わー2月です。卒園まであと少し。しなければいけないことが山積みです。昨日先生たちは全員が出勤して生活発表会の準備をしていました。私も手伝うことがあれば、と思っていましたが、「自分でします!」と、一向に私の出番はありませんでした。従って、私は買い出しの使いっ走りです。こんな先生たちなのに、あまり理解はしてもらえません。可哀想すぎます。それでも、これが仕事ですから頑張りますが、そんな先生たちの姿も見てあげてください。愚痴はそこまで、やれることをやるだけです。ただひたすらやるだけです。

1/30
 雪だという人もいれば、大丈夫だという人もいて、どうしようかと迷ったが、ままよ、と何もしなかった。どうやら朝は降らないらしい。昼に降る雪はどうにかなるので、結果オーライである。舞台裏の衣装が表に出たので、棚を作っている。この日のために材料を買い込んでいたので、私は楽しい時間を持っている。すべてヒノキで作りたかったが、材料と寸法が足りず、杉を一部使うことにした。ちょっと残念だが仕方ない。ヒノキの1枚板は保存しているとどんどん反りが入る。十分乾燥もしたし、今が使い時である。板だけではない。塗料も凝っている。植物性のオイルを使っている。植物性のオイルは無害だとのこと、子ども達が多く暮らしている場である。できるだけ子ども達にやさしい素材を使いたい。

1/29
 いよいよ舞台練習が始まった。それはそれで喜ばしいのであるが、どのクラス担任からも「音が良い!」とは言ってくれない。この幼稚園では、音の良いのは当たり前で、CDプレーヤーの扱い安さも当然のことと認識されているようだ。私の努力は、全く陽の当たらない縁の下の力だ。内緒にしてある鬼の存在が子ども達にばれ始めた。「とげが刺さった!」と職員室にやってきたA子。帰りに見たらしく「鬼がいた!」とクラス中にふれまわったしい。担任からの報告によると、「ばれました」とのこと。なんの、なんの。グレードアップしているので見られたぐらいでは後には引かない。

1/28
 昨日も舞台練習はなかった。準備は万端であるが、クラスには、クラスの都合があるのだろう。雨のためホールでの遊びとなったが、積み木遊びが複雑になってきた。これまで、同じ形の積み木を重ねて立体やドミノ倒しで遊んでいたが、大工さんからいただいた端材が加わったことで、家や城ができ始めた。また、ドミノ倒しに至るまでの過程が面白い。物が転がってきて、最初のドミノを倒すのである。子どもは工夫の神様である。予想して作るよりは、試行錯誤で出来上がってしまうのであろう。面白い、面白い!

1/27
 結局、舞台練習はなかった。クラスでは広い場所で練習するよりも、立ち位置を決めているのだろう。立ち位置が決まって、振りが加わる。立ち位置が決まらないと、本番で体型が偏ってしまう。今日はどうだろう。ホールでの練習があるのだろうか。職員会議の後、先生たちをホールに集めて、音響機器の取り扱い方を指導した。難しいことはないのだが、扱いに慣れていない。また、私に頼り切っている。3か所の電源を順番に入れる。それだけである。この順番だけは確実に守ってほしいと伝えた。

1/26
 さて今日のグランドの様子はどうだろう。この時期雨が降ると、湿った土が夜に凍り、朝になると解け出し、とても使えない。子どもたちはどんなに寒くても外遊びが好きで、外で遊びたがる。私たちは寒さが嫌で、できたらホール遊びとなってほしい。まったく「子どもは風の子」である。1月も最後の週になった。生活発表会の準備も整いつつある。今日から舞台練習が始まる。舞台練習と言っても、市民会館の舞台は広く、ホールの舞台ではとても広さが補えず、ホールの客席での練習となる。大道具の木も、少し組み立てておこう。カブはキャスター付きの台が良いのか、人形で良いのか確認しよう。準備が楽しくなってきた。私の楽しみは、直接練習にかかわれないので、こんな準備が唯一の楽しみである。

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 運動会や生活発表会では、先生たちはCDの音楽をパソコンで編集する。テンポを遅くしたり、キーを上げたり下げたりする。さらに曲をカットしたり、つないだりする。テンポ、キーを自在に変更できる、そんなことのできるCDプレーヤーを持ってはいるが、ホールに設置してあるので持ち運びが面倒である。小さめなそんなことのできるCDプレーヤーを欲しいと思っていた。それが昨日、ひょんなことから手に入った。もちろん私の御用達、ハードオフでのことである。ただ、ジャンクなので使えるかどうかは運次第であった。購入して自宅で使ってみると、CDを再生できたのである。運が良かった。ただ、汚れているので今日は掃除するつもり。

1/24
 音響部屋にいると、窓を開けて「片づけまで後なん分?」と何度も聞きてくる子がいる。遊ぶ時間が気になるのではない。音響部屋の中が気になるらしい。部屋の中は機器類がいっぱい。子どもにとっては興味深々の場所である。嘗て機械好きの子とアンプ1台を分解したことがある。ドライバーをあげると、ものの見事に分解してしまった。その子はボールペンも分解しようとして、私の高価なボールペンを折ってしまった。その子との思い出に引き出しの奥に残してあったが、その子が大学生になってひょっこりやってきた。思い出のボールペンをあげた。すると、卒園記念に植樹したメタセコイヤについて聞いてきた。「ちゃんととってあるよ!」と玄関の卒園制作の和紙の作品を指さし、「この額縁がそうだよ!」と伝えた。園舎建設で伐採したが、捨てるの捨てられず、額縁にして残したのである。

1/23
 衣装出しの最中、あれがない、これがないと騒ぎ出した。だから言わんこっちゃーない。新ホールが完成して荷物は運びいれたが、整理はしてこなかった。どうせ、衣装出しの時にすべての物をだし、終わったら整理するとのもくろみ、それが先生たちの主張だった。結果、見つかったようであるが、なかなか思うようにはいかない。時々「組長!」と私のことを呼ぶ子がいる。何で組長なのかはわからない。昨日もそう呼んだので、「社長!」と呼び返すと「社長はパパだ!」と言う。「おじいちゃんは会長?」と聞くとそうだと言う。そこで、じゃー君は「部長だ!」と言うと、首をかしげている。部長の意味が分からないらしい。すかさず、傍にいた先生が「次期社長です!」と言う。そういう表現もあるか。

1/22
 木を2本、草を2枚、大きなカブを1枚作った。これからどんな大道具の制作依頼があるのかわからないが、とりあえず今要求されているものは作った。色塗りもMさんに依頼した。そして今日、先生たちは衣装出しをするという。衣装が決まると、衣装作りが始まる。私達の作品が舞台の上を飾る日も近い。今日一日は雨だという。この雨で、以後のグランドでの遊びは制約されるだろう。一日、一日があっという間に過ぎてゆく。

1/20
 豆まきを通り越して生活発表会の話でにぎやか。背景の木を少し作り変えようと思う。どんな木を希望かと聞くと、子ども達が隠れることができる大きさの木が2本欲しいという。今回、隠れるような場面はないが、そんな木があったらいいなーと言う。それは勘弁してもらった。大きすぎて運搬も大変である。結局、これまであったような木にすることにした。作業場を片付けることから始めよう。

1/19
 待ちに待った月曜日。さー今日も子ども達との楽しい会話があるだろうか。あちこち歩いて、会話を探そう。昨日は午前コーラス、午後音楽会、夕方ユザワヤでコサージュの材料を購入してきた。卒園式に園児たちが胸に飾るコサージュの材料である。最近ユザワヤにはコサージュの材料が売っていない。池袋に新しいユザワヤが出店したとの話で、材料を探したがほとんど売っていないとの先生たちの報告。そこで蒲田の本店に出かけたわけである。卒園式は、卒園児の晴れの舞台である。私たちの手作りのコサージュを付けて送り出したい。今後材料が手に入らなければ、今年度で終わりか。

1/18
 「カラアゲ」の続き。あまりに面白かったので担任がその話を保護者に伝えたところ、「家でも話していました。園長先生は音楽をするので、カラアゲの歌でも作ったのかと思っていました」とのこと。ハッハッハ! 雨の後、ぬかるんだ泥にはまってしまったA子。靴も抜けず、靴下も足も泥だらけ。担任が「あんなに言ったのにどうして入ったの?」A子曰く「妖怪のせいです!」とのこと。担任は叱ることもできず、靴と靴下とA子の足を洗っていた。運転手さんが「明太子」の由来を調べてきてくれた。その由来を聞いて、「こんなに先生たちがいるのに誰も調べることはしない。ありがとうございます!」とB先生。幼稚園は楽しい世界である。

1/16
 「園長先生がカラアゲをしている! と子ども達が言っているのですが」とA先生がやってきた。そうなんです。歌を口ずさみながらスピーカーの調子を合わせていたのです。年中になって、もうすぐ年長なのだから、カラアゲとカラオケぐらいの区別はしてほしい。昨日は、朝の自由遊びの途中から降雨。ホールでの自由遊びとなった。今日もホールでの自由遊びとなろう。そこで、今日は大工さんからいただいた廃材をホールにばらまいてやろうかと思う。これまでは形がすべて同じ積み木で遊んでいたが、全く形の整わない積み木でどんな遊びをするだろうかと楽しみである。ごみも出るだろうな。

1/14
 今日は餅つき大会であるが、どうしてもこの3連休のことを書きておきたい。「3人3様」「3人寄れば…」「3本の矢」など、3がキーワードである。私達音響仲間に3人がいる。いつものIさん、大学からの友人のS君、そして私。欲しかったLA1612のスピーカーがオークションに出た。中古の価格を知っている私は、いたづらに入札した。絶対に落札できるとは思ってもいなかった。ところが落札できてしまったのである。届いたLA1612は特注品で、1つの箱に16個のスピーカーが入っていて、その接線の仕方がわからない。BOSEに問い合わせても教えてくれない。スピーカー1個のインピーダンスもわからない。Iさんは返品せよという。S君はやってみるという。そこでS君の住んでいる相模原(ここで枕木につながる)に持って行き、いろいろ試す。IさんもS君も音響には詳しく、素人の私に振り回される2人。結果、素晴らしい音を放つスピーカーがホールに鎮座した。慎重派のIさん、理論派のS君、無鉄砲な私、それぞれの性格が繋がってホールに新しい音響空間が生まれた。
 「めんたいこは何で太鼓なの?」という質問がA君から出た。さて、私はなんと答えたでしょう。「あのね、めんたいこは卵なの。赤ちゃんがお腹の中に生まれると、お母さんのお腹は大きくなるでしょう。大きなお腹を太鼓腹というの。めんたいこのめんはウーメンのめんなの」「ふーん」と言って去って行ったA君。笑って聞いていた先生達。「本気にしないで!」とくぎを刺しておいた。

1/13
 さてさて、どちらを書こうか。この3連休、2つのことが同時進行し、充実した連休を過ごした。「森のお花畑」の柵が腐って気になっていた。これ以上コンクリートやブロックはいらないと思っていたので、どうしても枕木が欲しかった。その枕木を安く売っている店を発見し、購入しに行った。場所は相模原。10本を2つに切ってもらい、合計20本を積みに行った。店のおじさんは笑いながら、700キロをこの車に積むつもり? と。結局2回往復した。腐った柵を掘り起し、さらに深く穴を掘って枕木を埋めた。不安だった私の体力も、どうにか持ちこたえた。しかし、枕木が足りない。不足分は今後の課題である。さて今日は、餅つきの準備。これも体力勝負である。願わくば、私の体力よ、持ちこたえて欲しい。

1/10
 やはり子ども達はいいものである。久しぶりに会ったわけだが、顔が引き締まって見えた。子どもの成長は早く、老いゆくわが身とは正反対である。ところで、グランドは霜柱とぬかるみで今後はほとんど使えない。ホールがいかに必要かがわかる。そのホールで始業式。大したことをするわけではないが、これも一つの区切りである。普段、始業式、終業式ではマイクを使わずに生の声で通してきた。昨日は司会の先生にマイクを使ってもらったが、これには訳があった。ラインアレイ1612のスピーカーの音を試してみたかったのである。もちろん中古のスピーカーではあるが、残響が少なく、ハウリングしにくいというスピーカーである。悦に感じたのは私一人ではあったが。

1/9
 「大変です!」と、お別れ遠足の下見に行っていた先生たちから電話。科学博物館のほとんどが工事のため閉鎖しているとのこと。今年度のお別れ遠足は、科学博物館見学の後、上野動物園でパンダを見る予定であった.。その一報を受けて、残っていた先生たちは他の候補地を探し始め、思わぬ展開に仕事そこのけとなった。この時期の遠足は、寒さ、雨、食事の場所など多くの条件を満たす必要がある。従って、行ける場所は自ずと限定されてしまう。更に、楽しい思い出作りと未来に羽ばたく子どもたちに夢を与えたいと、これまで科学博物館を選んできた。さあーどうしよう。

1/7
 今日から本当の出勤日。先生たちも出てくる。先ずは、保育室の掃除からだろう。一年の計は元旦にあり、と。私たちにとっては 今日がその日となる。昨日はホールの工事があった。念願の工事で、一層使いやすくなった。そして、プロの仕事は見事なものできれいに仕上げる。 見ていて気持ちがいい。さて、子ども達にとっては始業式が待ち遠しいことだろう。もうすぐである。私は今日、ホールのやり残した仕事を仕上げる。 それは、見積もりにはなかったことなので、私が仕上げるしかない。

1/6
 子ども達はやはり楽しい。目が合うと何か言われやしないかと身構える子がいる。何も言いやしないのにそうだ。「元気?」と言うと、ニコッとして 「うん!」と返してくる。安堵が伺える。子ども達の小さな悪さは、体が動いてしまったり、遊びの延長がそうしてしまうのだろう。本人たちに 悪気は決してない。悪気はないが、結果は出てしまう。出てしまった結果を私たち大人はあれこれ言うが、言わないわけにもいかない。かわいそうな 子ども達。昨日何かあったわけではない。子ども達を見ていると、ヒヤッとする瞬間がままある。分別ある大人と分別の浅い子どもの差であろう。 願わくば、遊びが遊びで終わってほしい。楽しくなりそうな今年である。

1/5
 今日から預かり保育の始まり。従って出勤。昨日はこわごわ水槽を覗くと、グッピーたちは元気に泳いでいた。良かった。餌やりも、4日間は ほったらかしておいても平気なことが判明。新記録樹立。ところで、妻から幼稚園のHPの一部が文字化けしていると指摘。昨日修正して幼稚園の他の パソコンでのぞくと異常なし。家に戻って開くとやはり文字化けしている。なぜなのか私にはわからない。今日再び挑戦してみるつもり。 時間があったら、年末の行事をUPするつもり。

1/3
 昨日近くの本門寺にもう出たのは、正月の慣わしとしていつもしていることである。お賽銭を投げ、祈っては来るが、一向に願いがかなうことはない。 私の信心の心が通じないのか、弱いのか…。人は勝手なもので、願いがかなわないと、神や仏はきっといないのではないかと疑う。自分の信心の弱 さは隠そうとする。かと言って、神仏の前で手を合わせ、さも祈っているかの格好はする。お経など知らない私である。いったい私とは何者であろう。 きっと願いがかなわないのは、お賽銭の額が少ないのではないかと思い、今年はちょっと奮発してやろうと、ポケットで握りしめたお賽銭は重く、大きい。 どうせ願いがかなわないのであれば、もったいないと思ってしまった。ケチで信仰心のない私。そんな私を救ってくれる神や仏はいるのだろうか。

1/2
 新年あけましておめでとうございます。
 元旦は湯船の中から日の出も拝み、迎えました。宿泊しての新年ではなく、急きょ思い立って日の出の見える場所を探し、日帰りで出かけました。 日の出を待ちつつ右手を見ると、富士山が遠く望めました。まるで絵にかいたような新年の風景でした。妻が風呂から上がるまでの間に、トン汁と お稲荷というセットを食べ、帰途において、マックでエッグマックのセットで新年の朝食をとり、それまでの厳かな気分から一転、現実に戻ってし まいました。特に新年における決意などなく、絶えず気になるのは、グッピーの餌やりで、いつ朝霞に戻ろうかとそればかりが気になります。 今日は散歩コースの本門寺にもう出、新年の祈願というよりは、平平凡凡に生活できたことへの感謝を伝えてこようかと思います。今年もどうぞよ ろしくお願いいたします。