やかみ衆 

 「やかみ衆」は、島の老婆総てがなれるというのでなく、少し特殊性があるので、活動内容やお神楽については省く。「やかみ衆」は自分達のために祈るのではなく、島の総てのために祈る。祈りは感謝と祈念で、島の代表のような所があります。最近ではこの「やかみ衆」にもなりてがなく、この先どうなってしまうのかと心配している。

 島での生活における音楽的要素、それは、生きてゆく上で欠くことの出来ないものだと思う。自然と調和しようと心掛け、自然をありのまま受け入れ、自然のもつリズムに自分のリズムをあわせ、仲間との息を合わせようとする。風に逆らわず、波に逆らわず、風と波を読み、人のリズムを融合させようと努めているのである。風も波も、自然そのものに逆らったところで所詮勝てる訳もなく、共に生きることが、島で生きるということに他ならないのである。自然を受け入れようとする時、人は神と仏とに祈り、祖先に感謝する。日々の生活の中で、祖先を敬い、神と仏とに祈り、自然と共に生きることが日々の糧を得ることであった。日々の糧を得てさらに祖先や神や仏に感謝する心を持ち続けてきた。自然を受け入れ、神々に祈るということは、日々の糧を得ることと共に、生命そのものをも守ることでしたから、海との共生は生活と生命とを守ることであった。年老いた老人たちは、魚具の繕いに従事するが、年老いた老婆たちは「やかみ衆」となり、海や神々に祈り続けた。もんもの唄う「わらべ唄」で育った子どもたちは、やがて「大踊り」「島節」を経験し、「節題目」を歌い、「やかみ衆」となってゆくのである。この島での一生は、自然と共に生き、祈ることでおわる一生と言って良いのではないかと考える。