第5章 「労働の中のリズム」

 労働の中に生きているリズム 

 一方、島の男たちにとっても、自然と共に生きてゆかなければならず、自然のリズムを身に付ける必要があります。

 私が中学生の時、父の漁でアルバイトしていると、東京の大学生もアルバイトに来ていました。その大学生は水泳部とのことでしたが、平らな海ならばいざ知らず、うねる海の上では島の漁師の方がずっと上手に泳いでいました。大学生は何度となく海水を飲みこんではむせていましたが、漁師たちは、平気な顔をして海笛をふきながら漁をしていました。

 波にもリズムがあります。泳ぐにしても、船を操るにしても、波のリズムを知らなければ無駄な力、無駄な時間ばかりを浪費することになります。艪の角度と船を漕ぐ力との関係は、力学的に説明できますが、漁師たちが力学的な根拠をもって船を操っているかと言えばそうでは有りません。漁師たちは、長年の勘(それは自然に逆らわず共に生きようとする知恵)と経験とで日々暮らしてきました。そんな漁師たちにとって、自然に逆らわず共に生き、仲間と力を合わせようとするすばらしいリズムがあります。

 式根島の漁における掛け声は、百井福太郎氏によれば4種類あるとのことです。

 

その1 錨を上げる時の掛け声

錨を下ろすそもそもの目的は、船が風や波に流されないようにすることですから、海底が岩で、錨がその岩に引っ掛かりやすい所を選んで錨を下ろします。海底が砂の場合、錨は引っ掛かるものがない訳ですから、錨綱は長く伸ばし砂と錨綱の摩擦で船を固定しょうとします。しかし、錨が固定する確立は海底が岩の時の方が良い訳ですから、錨は海底の岩の所に下ろすことがほとんどです。従って、岩に引っ掛かって(根がかりと言います)上がってこない(起きない)時この掛け声を使います。百井福太郎氏の言うのには、「万歳三唱」の要領だとのことです。

 錨を上げるときのかけ声ですが、まずリーダーとなる人が「やれーこら」と、これから錨の綱を引くことをみんなに伝え、他の人々は呼吸を整え綱を引く準備をし、「やれーこ」の「や」で力を入れます。

  譜2

リーダー ■■ ■■■ ■ ■ ■ ■

 

  他の人々 ■ ■ ■ ■ ■■ ■ ■

        (   は呼吸の長さを示す)

 譜2が示すように、リーダーの呼吸の長さ合わせて(感じて)他の人々は応えています。これでお互いの息が合うのです。

 

 錨そのものはそんなに重いものではありませんが、根がかりした錨は岩との力比べとなります。引っ掛かっている岩が小さい時は、その岩をひっくり返そうとして、引っ掛かっているものがさんご礁ならば、折ってしまおうとして力を入れます。海が浅い時は潜って外しますが、海が深い時は、何に引っ掛かっているのかさえわかりません。どうしても外れない時は、縄を切ってしまいますが、どうにかして外そうとして力を合わせます。外れた錨は軽いものですから、この掛け声は、一尋(約1メートル50センチ)程錨を上げる為の掛け声です。

 

その2 網を上げる時の掛け声

 

 網をたぐりあげる場合、■ ■■■■■ ■■■■と、声を掛け合いながら右手、左手と力を入れます。(手に力を入れるというよりは、肩と腰に力を入れ、体重をかけるといった方が正しいです)この場合、力を入れたからといって力を入れた分だけ網が揚がってくるというより、海底の網は動かず、船が動いて網の真上にゆき、網を海底から引きはがすような状態となります。例えて言うなら、セロテープをはがすようなものである。ですから、網を揚げるという事は、網を引いて船を動かす事にほかならない。ただ、網は海底に着いている場合だけではなく、飛び魚を取る場合のように、網は海面に浮いている場合もあります。又、他の漁では、網を海面と海底の中間に浮かせることもあるので色々なケースがありますが、力をあわせる必要があるのは当然です。そして、海底から網が離れたり、力を入れる事で網が船の方に寄ってく

 

 

る時は、大変軽くなります。その場合は、リーダーが■■  と声を掛けま

 

す。すると他の人達もその合図で、■ ■ ■ ■ と右手左手交互に力を

 

入れて網を引きます。■ ■ ■ ■ となった時、■ ■ ■ ■等とアドリブがはいる事もあります。この場合、互いの息の長さは必ず同じです。そして、この時はもう直ぐ網が揚がる事で喜びも加わっています。つまり、網を揚げる掛け声というのは、連続して網を引く(船を移動させる)時に使います。

 文章にしている時、画面の上は平らですが、私の経験したこれら漁の場合、刻々変わる潮の流れ、急に吹き出す風によって荒れ始める海、何時の場合も命と漁獲量とが表裏一体となっていました。ですから、真剣に、生命をかけた仕事の場で、リズムとピッチと呼吸と心とは何時も一緒でなければなりませんでした。ましてや、自分が辛いと思った時、その必要は大で、自分が辛いからといって力をぬけばさらに辛くなります。辛いと思った時こそ、仲間と心を合わせ、声を掛け合う事が必要となるのです。

 さて、この島において、リズムはどんな意味をもつのでしょうか。特に漁業の場合、何故リズムが必要であるのか、考えてみます。例えば、大謀網について。

 この漁法は、大型船1隻と網を積んだ大型伝馬船数隻からなります。大型船には、魚労長と先眼と言われる魚群確認の役をもった人その他数人が乗っていて、袋網を積んでいます。大型伝馬船にはたくさんの網と魚を追い込む7人程の人が乗っています。尚、グループによっては、その他に小型船が加わっていることもあります。しかし、漁法としてはほぼ同じ展開をします。魚場は幾つかありますが、魚労長がその日の潮の速さ、向き、魚場の荒らし具合を考えて決定します。潮の速さや向きはカレンダーでほぼ予測出来ますが、ほんとのところは行ってみないとわかりません。又、その日の風の向き、強さも魚場決定の要素となります。今少し説明を加えますと、潮の速さ、向きは潮の満ち干きと関係があり、大まかに大潮、中潮、小潮と分けます。大潮の時は潮の満ち干きが大きく、潮も速く流れます。小潮の時は、潮の満ち干きも少なく、潮の流れもゆるく、ゆったりと流れます。中潮はその中間となります。又、潮の満ち干きの時間もカレンダーで知ることが出来ます。旧暦の日にちに8を掛け、端数に6を掛けて出た数が干潮の時刻です。例えば、旧暦の13日は

  13×8=104  4×6=24

     10時24分が干潮の時刻です。

  旧暦15日は

  15×8=120  0×6=00

     12時となります。

  旧暦1日は

  1×8=8  8×6=48

     0時48分となります。

 以上のように、干潮の時刻がわかれば、上げ潮下げ潮がの時刻がわかります。これらの条件を知って、その日の潮の具合を予想した上で、その条件で漁の出来る魚場をほぼ決定します。魚場においても、上げ潮ならば出来るが、下げ潮では出来ない魚場もあります。入り江の形や海の深さが違うからです。又、理屈通りにゆかないのが海です。ほんのわずかな自然条件の違いが、全く違った海になる場合もあります。ですから、魚労長は、おおよそ見当をつけて魚場を選びますが、行ってみないと、そこで漁をするかどうかわかりません。次に漁の出来る条件が揃っていたとして、魚がいるかどうかの確認をする必要があります。そこで、先眼と呼ばれる人が一人または3人程海に飛び込みます。先眼は、魚の種類と量を魚労長に伝えます。およそこの漁では「たかべ」「いさき」その他大物(島鯵等)ですから、魚種については3通り程の合図が決まっています。次に量ですが、これも合図が決まっていて、報告を受けた魚労長はここの場所で漁をするかどうか決定し、他の船に合図をします。合図を受けて、網を積んだ大型伝馬船が網を仕掛け始めます。大型伝馬船に積んである網にも種類があり、魚場魚場において自分の船の網はどこに仕掛けるかは決まっています。おおよそ一人ないし二人が艪をこぎ他の人は網を投げ入れます。船ごとに積んである網の長さが決まっているので、船の早さと網を投げ入れるタイミングが合わないと予定の場所に網を打つことが出来なくなってしまいます。毎日の事とは言え、艪をこぐ人と網を投げ入れる人のタイミング、リズムは大変大切になります。又、魚もじっとしている訳ではありません。見つけた魚群に逃げられてしまわないうちに網を打って囲んでしまう必要があります。ですから、魚労長から受けた合図で素早く網をうちます。艪をこぐ人、網を投げ入れる人はお互い声を掛け合います。さらに言うならば、海底が平らな場合は少なく、岩でごろごろしている場合が多くあります。船の進み具合に対し、網を入れるタイミングが遅いと網が張ってしまい、海底の岩に乗って岩と岩の間に隙間ができ魚に逃げられてしまいます。本当に艪をこぐ人、網を入れる人との息が合っていないと多くの漁獲が望めません。

 こんなこともありました。私が大学生の夏休み、父の船を借りて仲間と銛による魚捕りに出掛けました。石白川の入り江で泳ぎながら魚を捜していると、水深5メートル程の海の底にアオリイカの巣を見つけました。巣の周りには数匹の親のアオリイカが群れていました。アオリイカは一匹が2〜3キログラムある大きなイカで大変おいしいイカです。ところがアオリイカは大変用心深く、回りに異変があると一斉に逃げてしまいます。そこで、仲間に相談して、私の父から網を借りてきて、アオリイカとその巣を網で囲み、それから銛で捕ろうということになりました。急いで家に戻り網を借りたいこと、アオリイカを捕ろうとしていることを告げると、父も一緒に行ってくれるということになりました。やがて網を積んでその場所に戻ると、父は私をアオリイカの巣の上で静かに泳いでいるように指示しました。つまり、私が静かに泳いでいるるのはアオリイカの巣の場所を確認するためで、父は静かに船を進めながら網を打ち始めました。私は水面でアオリイカを確認しながら、海底に落ちてゆく父の投げ入れる網を見ていました。網は海底に沈んで行き、まるで絵に書いたようなきれいな円で、網の最初と最後はぴったりと一致し、尚、重なった部分はほんの10cm程でした。それを見た私は、いくら漁師とはいえ、こんなにも見事に網を打つものかと感心しました。網を打ち、魚を捕ることが仕事とはいえ、こんなにも見事に網を打つことができるとは只驚くばかりでした。網は最後に父の手を離れ、波に漂いながら沈んでゆくのですが、海底について、このようにぴったりと重なるとは、ため息の出るものでした。結果見事にアオリイカは総て捕りましたが、操船しながら網を打ち、その網が沈んでゆく様子と沈みおわった最後を見ていたのは始めてのことでしたから、今でも鮮明に覚えています。

 漁師は、海底の状態を考え、船の進み具合、網の投げ入れられる程度等から、網が着底した様子を想像しながら艪をこぐ人、網を投げ入れる人とがタイミング、呼吸を合わせていることがわかります。リズムや呼吸は仕事の上でなくてはならないものです。

 さて、それぞれの船が網を打ち終ると、今度は魚の追い込みになります。追い込む人達には深い海の底を潜水具を着けてする人と水面を泳ぎながら片手に〇〇をもってそれを上下に動かして海底で音を立てて追う人とがあります。さらに大型伝馬船から〇〇を投げ入れたり、竹で水面を叩いて追う人とがあります。大型伝馬船から〇〇を投げ入れたり、竹で水面を叩いて追う人は、年とって泳げない人と艪をこぐ人達です。〇〇をもってそれを上下に動かして追う人達は、波のリズムを感じ、潮を飲みこまないようにそして、片手で〇〇を動かしながら泳ぎます。仕事とはいえ、毎日していることとはいえ、それぞれをバランスよくすることはかなりの熟練が必要となります。私等、初めてこの漁に行った時は、〇〇をもっているだけで沈みそうになるし、波のリズムをとりそこねて潮を飲んだり、それは大変でした。このような状態で泳ぐということは、通常よりも身体を浮かせるように水面に対し身体との角度を大きく取らなければなりません。両足両手をバランス良く動かし続けなければなりません。当時は良くやったものだと思いますが、今思うに、バランス感覚とリズム感覚とを上手に使い分けていたものだと思います。個人的にそのようであるだけでなく、追い込むということは、泳いでいる人達が横一直線になっていなければなりません。遅れたりしてへこんでいると、逃げようとして必至になっている魚達はそこを目がけてなだれ込みます。なだれ込まれたら魚の勢いを止めることは至難の技です。いつも平均に直線となり間隔も平均に取りながら泳ぎます。部分的に早く泳ぎ過ぎてもいけないし、遅れてもいけません。魚労長は、船の上から激を飛ばし、叱咤して指示を与えますが、身体全体をそのような状態にしてことに望みます。魚達に不用意な危機感を与えない追い込みの速さ、魚達の回遊する速さ、たくさんの条件を克服しながら魚を追い込みます。一方、海の底の潜水夫達ですが、水面よりも潮の流れは速く、又、海上のように見渡すことができませんので、泳ぐというよりは、海底を這いながら前に前に進みます。海の底では水圧の条件も加わります。息苦しい中で遅れず、進み過ぎず、魚に逃げられないように注意を払います。

 沖から次第に浅い所に魚を追い込みますが、所々で、仕切る為に網を打ちます。仕切ることを2度程して大型船が積んでいる袋網を打ちます。袋網は袋のようになった網で、その中に魚の大群を追い込むと各自自分の船に戻ります。戻るとすぐに網揚げとなります。

 この漁の場合、急いで網を揚げる必要もなく、又、入り江の中の漁なので潮もそれ程速くはなく、2時間程泳ぎっぱなしの後なので、やや緩やかに網を揚げてゆきます。

 袋網を揚げる時は、漁獲の時ですから、一段とかけ声を掛け合って網を引きます。その日の成果ですから、漁獲の多い時は喜びの心を込めて、漁獲量の少ない時であっても、その日の大変な労働に対して、心を込めて網を揚げます。掛け声のリーダーとなる人は何時も明るく、少しでもみんなの負担が少なくて済むよう声を掛けます。百井福太郎氏が言うように、リーダーの声の掛け方一つで、網が重かったり、軽かったりするとのことです。

 基本的には  ページのようですが、

 

例えば

   リーダー  よーいとよいとー

   他の人   えーんやこらしょ

   リーダー  もーっとひけよー

   他の人   えーんやこらしょ

   リーダー  もひとおまけに

   他の人   えーんやこらしょ 等々延々と続きます。リーダーのアドリブに対し、他の人は何時も同じ言葉です。リーダーのアドリブが面白いものであったり、心なごむものであったりすれば、他の人達は網を引く気持も軽くなります。リーダーの掛け声がリズム的でなかったり、面白くなければ他の人達は網を引く気持は滞りがちとなります。その場、その時のメンバーでおおよそリーダーは決まってきます。誰が決めるということではないのですが、ある程度ユーモアがあり、そこそこみんなからの信頼の厚い人がなるようです。

 

その3 櫓を漕ぐ時の掛け声

 式根島の小船の場合、櫓を手前に引く時力を入れ、手前から押しだす時は力はそれ程入れる必要は無く、むしろ波と櫓との角度でぼうずから櫓が外れないように注意することが大切です。そして、掛け声は、リーダーとなる人の「ワイトヤン」と、リーダー以外の人の「ワイトヤン」とで交互に声を掛け合う。

「ワイトヤン」は、1拍で「ワイト」を強く「ヤン」では弱く発声する。

 

 リーダー ワイトヤン  ■    ワイトヤン  ■    

 

その他   ■    ワイトヤン  ■    ワイトヤン 

 

 ワイトヤン……息を吐きながら力強く櫓を手前に引く

 ■    ……息を吸いながら櫓を手前から押しだす

 

そして、小船の右側と左側の人とでは背中を寄せあい、離しあいながら漕ぐのです。

 何故「掛け声」を掛合ながら櫓を漕ぐ必要があるかと言えば、小船を効率良く進めること。小船の揺れを少なくすること。最も大切なことは、あの流れの速い潮流(川の流せれの如く)を乗りきり、魚群に追い付き、素早く網を入れ、出来るだけ多くの魚を取る、それは収入をより多くうる為、家計をより豊かにするためなのです。「ワイトヤン」は、生きてゆく上で大切な掛け声であり、仲間意識をもってすべての人が心と気持と力を合わせる必要があるのである。式根島の小船は、「6丁張り」といって、一艘の船で櫓が6丁あるのもある。6人が効率良く櫓をこぐことで、その日の漁獲量を決定づけ、生活に於いては無くてはならないリズムとテンポである。

 「ワイトヤン」は最近のかけ声であるが、かっては「へん」というかけ声を掛けていたとのことである。

 ■■■=へん■である。艪をこぐ漕ぎての人達は「へん■」と声を合わせながら船を進めて行ったとのことである。

 ここで、波のリズムについても述べておこうと思います。

 漁師達は、船を進めるに当たり、たいへん磯近くを航行致します。これには2つの理由があります。その1つは、磯の近くを進むことが最短距離であるということと、最も安全であるということです。最短距離であるということは、地図を思いうかべて見れば良くわかると思いますが、地球が球であるために、視線で直線が最も距離的に短いかというとそうではなく、極端に曲がりくねらない限り、磯の直ぐ近くを航行することが最短距離に当たります。次に安全であるということですが、波と潮流について考えてみましょう。波は海水の上下で、海水そのものがあのように流れて(移動して)いる訳ではありません。潮流が速いからといって波が高いことではありません。もちろん、潮流が速くて波の高い時もあります。潮流は帯のようなもので、帯から離れれば潮の流れはありません。そこで、潮流が磯の直ぐ近くを流れている場合でも、最も磯に近くが一番潮の流れが穏やかで、一見磯に打ち上げられてしまいそうですが、波は海水の上下ですから、磯に触れない限り転覆等はまずありません。ただ、高い波は砕けることがあります。そして、波は海水の上下だからといって全く移動しないものではありませんから、その辺の判断は必要となります。そこで、漁師達は船を安全で活効率良く進めるために「掛け声」掛け合いながら艪を漕ぎます。船の舵はとも艪(船の一番後にあって一人だけ)が切ります。脇艪の人は船の推進だけが役目です。リーダーはとも艪(普通は船頭)で、リーダーの掛け声にあわせて艪を漕ぎます。先に述べたように、船は磯の直ぐ近くを通ります。海の穏やかな時はよしとして、海があれ、潮の速い時こそリーダーに従い気持と力をあわせる必要があります。リーダーは潮を感じ、波を読んで船を進めます。リーダーのテンポ次第に、脇艪の人が従ってくれないと危険窮まりありません。脇艪の人は、勝手に自分で判断し、舵を切ったりすることは絶対してはいけないことです。その場の総てをとも艪に委ね、自分の役目にのみ専念する必要があります。その半面、とも艪の人は、船の航行の全責任を負っているのてすから、潮を感じて、読めて、尚信頼を得る人でなければとも艪を握ることは出来ません。潮や波、自然に逆らうことは得策ではありません。自然を受け入れ、自然と仲間の漁師たちが協調するところに生活があります。掛け声は、船を効率良く、揺れを少なく、安全に進めるためにあります。生活と生命とを守る知恵と責任です。

 

その4 船を陸上げる時の掛け声

  さて、新島の漁師達は、船を陸にあげる時、「ドートコ セ!」と掛け声をかけます。これは、音楽的に表現するならば

  ■■■■■■  又は■■ ■■■

   ド ト コ セ        ド トコ セ

                (より力を入れる時)

となる。                 

 船は摩擦により、動き出すまではかなりの力を要するが、動きだしてしまえばそれほどの力を要しない。最初に動きだすまでにみんなの力を集結する必要があり、リーダーは「やろうじゃ」などの事前の合図をして全員が配置につくことを促し、「ドートコ」と声をかける。他の人はリーダーの掛け声を判断して力を入れる呼吸の準備をし、「ドートコ、セ!」の「セ!」で力を入れる。1回で動き出さない時は、他の人達が「ドトコー セ!」と掛け声を続け、全員で「ドト」のとき再び力を入れる。何れの時も「セ!」の後は、力を抜き、息をはいて■で息を吸い込む。

 

■■■ ■■

   ドト コ セ

 

 百井福太郎氏によれば、この「ドートコ、セ!」「ドトコー セ!」は、船を陸にあげる時の「一寸刻み」(一寸づつ進めるという意味)の場合の掛け声であるという。網が海の底で岩に引っ掛かり揚がってこない場合等もこの「掛け声」を用いることがあるとのことです。

 掛け声はこのように、リーダーが存在する場合と、みんなで唱和する場合と、適当に2組に分かれてする場合等があります。その船の動き具合、網の揚がり具合、集まった人々のメンバー等によってその時々臨機応変なのです。何れにしても、みんなで心を合わせ、力を合わせようとするのです。

 そして、船が、網が、動き出してしまうと、「エンヤ、エンヤ」となり、力を継続して入れ、次第にテンポを速くしながら休み無く船を動かし続けるようになるのです。

 リーダーの掛け声の上手か、下手かにより、リーダー以外の人達の力の結集が異なり、非常に疲れたり、力がはいったりするとのことでした。つまり、リーダーの「掛け声」は、仲間の力と心を合わせる大切な「掛け声」であり、リーダーの人柄やことに及ぶ姿勢が大変大切になってくるのです。又、「掛け声」の掛け方によって疲れたり楽であったりするとのことは、力を入れる時がピッタリと合うことだけで無く、呼吸をきちんとさせてくれるということでもあるのです。つまり力を「入れる」時と、力を「抜き」呼吸を整えさせてくれることなのです。力を「抜き」呼吸を整えさせてくれることは、次に力を「入れる」時、全員の力が瞬時に結集することで有り、結集された力が最大限に強く発揮される時でもある。このときに於いても、リズムとハーモニー、強弱、呼吸というものが仕事の中に重要に存在するのである。

 

 私は小さい時から父の船に乗り、漁の手伝いをしたり、沖から帰ってくる父達の船を陸にあげたりして育ってきました。その日の漁の成果が私たち家族の生活費であり、父の笑顔となるのですから、力を合わせて仕事することが、何にもましてしなければならないことでした。又、漁の成果は船子と呼ばれる仲間みんなの協力の結果であり、心と力を合わせることが大変大切であり、喧嘩ごしで仕事する必要さえあったのです。力を合わせる。つまり気持と息をを合わせる。それは取りも直さず、掛け声を合わせることでした。私の生まれ育った島ではありますが、交通の便が良くなるに従い、近代化が押し寄せてきました。機械化による漁法の変遷により、人と人、人と自然との関係はますます希薄になり、祈ることも自然を受け入れることも少なくなりました。島を離れて暮らす今、昨年帰省した兄夫婦と甥たちに、祈るばかりです。潮の沁みた人々の住む島に近付けて欲しいと。