第4章 「自然との音楽的調和」

 生活の中に生きているリズム 

 ところで、今回の資料読みで「伊勢音頭」に「ヤートコセー」の囃し詞が特徴であること、「伊豆七島風土細覧」に「若者二百人計伊勢音頭を歌いつれ……」の記述を見ることで、島の漁師達の掛け声は正に「伊勢音頭」から出たものではないかと私は推測するに至った。もちろん他の地域、他の島の漁師の掛け声との比較をしなければならないが、漁師達にとって「ヤートコセー」の掛け声を真似たものかどうかは別として、掛け声と力と心を合わせることは何よりも大切なことなのです。

 <島の漁師の掛け声と大踊り>

 そして、それら掛け声についてもう少し述べてみますと、現在の漁の形態は、一人でする漁がほとんどでするが、かっては数人から数十人の人達が同じ漁をし力を合わせて網を引いたりすることが多かったので、そのため、一瞬に力を合わせることが大切であり、必要でだったのです。仕事の上で必要であることだけでなく、そのような時であっても、アドリブでのかけ声もあり、苦しい中にも気持を解きほぐす要素も存在し、力を合わせるだけでなく、気持を合わす(解きほぐす)ために必要だったのです。つまり、緊張している時だけが力や気持を合わせることができるのではなく、ユーモアを加えることで、さらに気持を合わせる機知にも富んでいたのである。苦しい時、辛い時にあっても、ユーモアのあるアドリブで、みんなの力と気持を合わせようとする機知にとんだ生活の知恵は小さな船の上で生死を共にする仲間同士の意識であり、地上で生活するものからは考えられないものである。力を合わせて大きな力とするためには、無駄な力を必要もないところで入れないことでもあります。漁は平穏な海の上にいるときばかりではありません。荒れ狂った海でのこともあります。又、海流は、海のある一定のところをものすごい勢いで流れていて、船が流され、その海流の中に入ってしまうこともあります。海が荒れてくることが予想される場合や、海流の中に入ってしまうことが予想される場合は、力を合わせて一時も早く網を上げてしまうことが生死にかかわる問題なのです。そして、漁の種類(特に謀計網注)においては、魚が取れる取れないは力を合わせて網を上げるタイミングによって左右されることもあるのである。新島における、力を合わせるということは、単に一緒ということではなく、生計と生命とを左右することで最も切実な問題なのです。

 <島の生活と大踊り>

 生活と直面して生活している人達にとって、「大踊り」は、生活面の一時の潤いであり、気を抜ける時ではなかったかと思います。島外からの文化が流入しにくいこともあったでしょうが、このようにゆったりと風流な踊りは、心の安らぐことだったのではないでしょうか。普段の生活のリズムとは異なるこの踊りは、島の若い衆にとって平穏な心の時であり、一年の中で、待ちに待った時ではなかったかと思います。それゆえ、好んで踊ったのであり、伝承し続けてきたのではないかと思います。気持の上で風流な「大踊り」を求める一方、その「大踊り」から派生した囃子言葉を生活の中に取り入れ、文化と生活とが密着して、共に生き続けてきたように思うのである。文化がイコール生活と言わないまでも、切り離しては考えられない関係にあったように思われます。現在、民宿という漁業以外の収入もあり、島以外の文化も入り易くなり、一人でする漁が主流となりましたので、人々が力を合わてする仕事も少なくなり、海での危険も昔に比べれば少なく、気持の上でかってのように平穏や風流を求める必要もなくなってきたのではないかと思います。共同体がなくなり、個人的になるにつれ、「大踊り」がすたれるのは目前のことですが、今の生活がそれほどすばらしいとも思われません。漁は一人でする。自由ではあるが、気も緩み易い。他人への気がねはないが、責任もない。自分が気を抜いてもみんなに迷惑をかけることもない。自分自身にその負担がくるだけなのです。自分に負担が大きくのしかかるならば、お金を出して機械化すればよい。共にとか、共同という言葉は死んでゆくのみなのです。しかし、只それだけ出よいのでしょうか。島に生まれ、島で育ち、潮風を胸一杯に吸い込んだ身体には、潮の香りが沁みているのではないでしょうか。力を合わせる必要はなくなっても、心を合わせ、共に生活してゆくことは同じ島に生まれ育ったものとして、人として、忘れてはならないことのように思います。かって、流人が、島の若い衆が集って踊ったであろう「大踊り」を伝承することは、島そのものを伝承することに他ならなかったのではないかと思います。島を残すということは、心を残すことなのです。

<島の自然と人々の気質>

 ところで、島で生活するという事は、自然のリズムについて考えてみなければならないと思います。島の生活にとって一番影響を与えるのは自然であり、自然と共に生きてゆかなければならないからです。たとえば、私の母の気質についてですが、母と言うよりは近ごろ母の所にお茶飲みに来る老婦人達に共通の気質について考えてみたいと思います。島のことですから、電話にて相手の都合を確認するなど毛頭ありません。自分の都合で、勝手に来て勝手に帰ってゆきます。もちろん相手が都合悪ければその場で引返しますし、断わられれば不快にも思わず、帰ってゆきます。その老婦人たちに共通の気質とは、計画性のない事です。生活の中における風習やしきたり、神仏関係、農漁業の行事予定は年間を通してきちんとあり、これら行事予定の間に普段の生活がある訳ですが、これから私が述べようとしている事は、普段の生活におけることや、これら行事予定を遂行するための準備についてです。島の人々は"思いついたが吉日"とばかりにすぐ実行に移し、計画性がないのです。年間を通しての風習等は、例えいかなる場合においても最優先の事ではありますが、一般家庭における家事そのものは二次的に考えて(身について)います。例えば、台所をきれいにする暇があったら墓を掃き清めるとか、畑の草取りをするなど、台所がきれいにかたついていようがいまいが、祖先の霊の次は食料の確保が先で、家事全般については二の次なのです。老婦人達はお茶飲みをしていて、「あっ、そうだ〇〇〇しなければ!」となると、さぁーっと、皆帰宅してしまうのです。計画性のなさについては、つい先程迄お茶飲みをしていて別れたばかりにもかかわらず、電話にて、あれはしたか、これはどうしょうと相談をすることに現われています。私たちであれば、何かをするために集まり、時にはお茶を飲みながらの事もありますが、相談し合うものです。老婦人たちのお茶飲みは、時間をもてあましているから三々五々集まって、勝手な話、勝手にお茶飲みをして終わるもの、何も不思議には思いませんでした。しかし、島のこの場合においては、する事はたくさんあるし、時間をもてあましている訳ではないのです。ではどうしてなのでしょうか。私はこのレポートを書くにあたり、できる限り多くの島の文献に目を通し、それまでは何とも思わなかった事にも気を配り、つとめて島の人達の側に居るように努めました。そして、理解できた事は、島の人達にとって計画性というものはそもそも身についていないのではないかという事です。身に付ける必要がない、身につけてもそれ程意味がないという事です。その理由を書く前にもう少し、島の生産性について述べます。島での生産作業は、農作物についていうならば、畑を耕し、種を蒔き、育て、収穫して保存する迄をすべて自分の家庭でします。島名物のくさやは、ムロアジを捕り、ひらき、たれにつけ、何度となく乾燥させ、保存するのです。総じて、収穫から保存する迄の作業すべてを一家で処理します。もちろん、捕ってきたものを組合に卸せば済む場合もありますが、捕る道具は自分で作らなければなりません。この下りに分業されない社会では、分業された社会の効率の良い、計画性は必要としていないのです。計画性のなさは、島での生活のほとんどの仕事、漁業にしろ、農業にしろ生活すべてを支配しています。このような気質を作り出してきたのは天候を含めた自然に他ならないのです。明日は〇〇をしようと思っていても、天候次第ではその日の天候で最も良いと思われる仕事をしなければなりません。雨だったら〇〇しようと思っていても、どしゃぶりならば××、小雨ならば△△のように、農業と漁業とあらゆる種類の仕事を一軒でこなさなければなりません。朝食をとりながら、夫婦で今日一日の仕事内容について話し会うなどという事はまずありません。それぞれが自分の仕事の内容を決め、それぞれ精一杯仕事します。天気ならば夫は海の上でしょうし、雨ならば、魚具を繕っているか、雨でもできる漁や家庭内の修繕等をしている事でしょう。妻は、農業、天草潜り、薪とり、水汲みに家事にと夫とは異なった仕事に精を出します。それでも、少しでも計画性をもち効率良く仕事を進める為に空を仰ぎ、天候を予想するのです。しかし、それは勘と知恵の世界で、科学性には程遠いものです。空を仰ぎ、天候を予想したとしても、自然は、その予想をはるかに上回る事があり、予想を鵜呑みにしてはあまりにも危険過ぎる事があります。最近においては、テレビでの気象情報により、かなり正確に天候を予測することができるようにはなったものの、こと海に関して言えば、海に乗り出してみないと予測出来ないものが多く、その場その時の判断が大変重要なのです。良くとれた魚場についての情報は各船頭とも隠したがるものですが、ある船頭は秘密にせず仲間に教えてしまいます。ところがその船頭曰く、「潮の流れは二日と同じであつたためしがない。だから教えたところで損することなど何もない」とのことなのです。納得です。

 島で生きるということは、自然とハーモナイズすることなのです。自分のリズムに自然のリズムを引き寄せることは出来ないので、自然のリズムに自分のリズムを近付け、双方のリズムが近付いた所に漁獲があり、それによって生活潤されるのです。私が出席した東京の小学校の卒業式の際に、「荒波の中にあっては、エンジンを全開にして荒波を乗り越え、まっすぐ前を向いて進んで下さい」と述べた人がいました。全く海を知らない無謀窮まりない内容です。そんなことをしたら、船は即座に転覆してしまうでしょう。荒波の中にあっては、スピードを押さえ、波に対して45°に舳先を向け波に漂う小葉のように無理せずゆっくりゆっくり進むべきなのです。時には、船尾45°から波を受け、船のピッチングを押さえることも操船のテクニックです。自然に逆らったところで所詮勝ち目のないことを漁師は身に沁みて知っています。波にもリズムがあり、大きな波の後には小さな波が続き、そして又大きな波となる。波のリズムを読み、風とあらゆる海の状態を読んで慌てずゆっくり進むことが最も安全なのです。そんな生活の毎日であるからこそ、島の人々は大まかな計画性は持っていても、詳しい計画性を持つことはあまり意味がなく、持とうともしないのです。自然の中で生きようとする時、最も自然を愛し、自然のそのままを受け入れようとすることが大切です。自然を受け入れようとする時、人は神に祈り、仏にすがるのではないでしょうか。神や仏を通して人は自然を受け入れ、自然と共に生きようとするのではないでしょうか。平穏な毎日を願う島の人々は、神と仏と祖先を敬うことで祈ったのではないかと思います。人間の力ではどうにもならない自然に対し、祈ることしか共に生きる術はなかったのではないでしょうか。祈り、自然を受け入れることは、人間の力の弱さを認め共に生きようとしたのではないかと思います。沖に出た漁師が食事をする時、弁当の箱を開けると先ず、少しの食べ物を海に捧げます。海の神様に、海で死んだ仲間の霊にまず捧げるのです。どんな小さな船にも「船玉」を祭ってあり、自然の中ではあらゆるものに祈りすがって仕事します。

 母の気質についてほんの少しですが理解できたのはつい最近のことです。そして今、自然のリズムに無関係な生活を送る若い人達と、老人たちの間に考え方の違いがあるのもしかたのないことかも知れません。漁船の大型化や機械化は、かってに比べれば、自然をねじ伏せつつあるのですから。