・・・写真と絵画の違いとは・・・

反射

自動車のカタログ写真を撮るとします。まずスタジオに自動車を持ち込みます。自動車のボディーの表面は一般的に光沢があり反射率がかなり高く周囲の物が映り込んでしまうため、ただ置いただけではカメラの三脚や人間の足、その他照明機器などの機材が車体に映ってしまいます。

まずはこれらの物を映り込まない場所に移動させなければなりません。しかしまだボンネットには天井の骨組みや照明などが映っています。これらは簡単には移動できません。

天井に無地のシートを張るというのも一つの対策ですが、かなり大掛かりな作業になります。そうなると反射の極力少ないアングルで妥協するか後で写真を修正するしかありません。

反射するのはボディーだけではありません。フロントガラスは適度な反射で質感を表現した上に内装のデザインも確認できるようなライティングと撮影アングルが求められます。

またヘッドライトやエンブレムなどはキラッと輝いていて欲しいものです。

さらにスタジオの床材のテクスチャーや色調、背景の壁面の材質や色なども自動車のテイストに合ったっものを予め設定しておく必要があります。

果たしてこれらの条件を全て満たすことはできるでしょうか?たぶん無理です。できたとしても相当な金と時間が費やされることでしょう。

そうなると、まあ早い話最初から絵で描いたほうが無駄が少ないということになります。

実際の自動車のカタログ用の画像は絵(レンダリング)や写真、3Dグラフィックスを合成したり使い分けたりして制作されているとは思いますが、いずれにしても写真だけではないことは確かなようです。


光源

ここ数年間での3D-CGの進歩は目覚ましいものがあります。最近の映画を見てもどこがCGなのか見分けるのは不可能になってきました。しかし3D-CGが完璧なリアリティーを持っているかというとそうではありません。これらは映画という総合芸術を補助するための強力なツールではありますが、その1ショットの画像が(静止画の状態で)1枚の絵画と同じように見る者に感動を与えられるかというと、まだその域には達していないようです。

その理由の一つが光源の設定にあります。実際の空間には反射の繰り返しが複雑に重なり合い、コンピュータの中で設定されるよりも遥かに多くの光源があります。

さらに空気の密度による色や輪郭の変化も含まれており、これら全てをデータ化するには膨大な時間とプログラマーが必要になります。

絵画の場合はこの複雑な状況を理論的に分析して描かれているわけではありませんが、画家はその情景や感情を表現するために何十回、何百回と絵の具を重ねます。そしてそのストロークの速さや絵具の厚さ、筆の種類などで、それなりに複雑な分子構造がキャンパスの上に乗っかるという事です。

それでは写真の場合はどうでしょうか?確かに最終的な現象としての光の色や強さは人間の目で見たものと近い状態が得られます。つまり光源と反射については写真もそれなりに忠実な表現力を持っているということです。


見る

しかし写真と絵画には大きな違いがあります。そのひとつは...
例えば子供が描いた絵、そこには女の子と犬が描かれていて他は真っ白だったとします。それではこの女の子と犬を写真で撮ってみます。仮にその場所が住宅地であった場合、当然のことながら写真には電柱やブロック塀、通行人なども写っています。

しかしこの絵を描いた子供は果たして電柱やブロック塀を見ていたのでしょうか?視野には入っていたはずです。ところが見ていたかというと、その視野に入った電柱の情報は脳まで伝わっていなかったかもしれません。

ピッチャーがボールを投げる時、彼が見ているものは打者とキャッチャーであるはずです。後方のバックネットやフェンスに書かれた広告は見えてないでしょう。

そしてボールを投げた後、打者の方はボールしか見ていません。たとえグラウンドにダイヤの指輪が落ちていたとしても目には入りません。

ところがこのボールを写真で撮れば指輪もちゃーんと写ります。後ろで守っている野手やバックスクリーン、照明塔や空に浮かぶ雲まで全部写っているはずです。

つまりこのことが写真の融通の効かない、人間の目と大きく異なる部分なのです。

確かに写真でも絞りを調整して背景をボカすことはできます。しかしこれは距離という限られた条件の範囲でだけの話であり、見たい物だけを写し、他を省略するということはできません。

野球を例にもう一つ絵の優位性を説明します。
よく野球マンガで豪速球が砂煙りを上げながら楕円形に変形して打者に向かって行く1コマがあります。実際に160kmの速球を呆然と見送って三振してダッグアウトに戻ってきた打者にこのマンガの1コマと、その三振した投球を実際に撮影した写真を見せて「どんな感じだった?」と聞いてみる。恐らくマンガの方を指して「こんなんやった」と答えるはずです。

写真は印象的な部分や強く感じた部分を強調して表現することもできないのです。


時間差

二つめの大きな違いは時間差です。
サイコロを2つ、「1」の目を上にして30cm離してテーブルの上に置きます。これを真上から写真で撮った場合2つのサイコロの側面、つまり「2」〜「5」の目のいずれかが写ってしまいます。(写るといってもほんの少しで、目の数は読み取れない場合の方が多いでしょう)。

これはカメラの位置を離し、望遠レンズを使うことでだんだん写りにくくはなりますが、どんなに離れても理論上は写るということになります。

しかし工業デザインで描かれるレンダリング(三角法に倣った三面レンダリング)では、このサイコロは「1」の目のアウトラインの外側に上記の側面は一切描かれません。

それではこのレンダリングが人間の目から見て不自然かというと、そんなこともありません。それは人間の目が「2 眼」であり両方の目から入ってくる映像を合成して脳に伝えているため、カメラでは写ってしまったサイコロの側面を特に意識せず、「無くてもいいもの」として認識していないからです。

これは所謂3点透視図法であるものを2点透視図法にする、つまりZ軸方向のパースペクティブを省略した形であり、工業デザインのレンダリングではこの方法が設計図面に展開しやすいということ、比較的短時間で線図が描けるなどの理由で多く採用されています。

そしてこのZ軸方向のパースペクティブの省略を不自然に感じるということもほとんどありません。(ただし描かれる対象がインテリアや建築などの大きな物の場合は不自然に見えることもあります)。

それではこのサイコロの側面をカメラで写らないようにするにはどうすればいいのでしょうか?
それには2つのサイコロをそれぞれ真上から撮影し、後で合成するしかありません。

この場合、1つのサイコロを撮ってから次のサイコロを撮るまでには「時間」がかかります。これが1枚の画像の中での「時間差」ということになります。レンダリングではこの時間差を予め取り込んでいたということになります。

実はピカソやブラックが描いたキュビズムの絵画というのはこの時間差を取り入れたことが原点になっています。人間の顔を正面から見る、その後側面から見る、そしてその2つのアングルを合成して1枚の絵にする、という訳です。

このことは産業革命以降、自動車や鉄道の発展で人間がそれまでに経験したことのない速さで移動することが 可能になったことによって必然的に生まれた技法であるという説もあります。

それでは写真の場合は時間差はないのでしょうか?バルブで撮影した天体写真など特殊な例を除けば、通常 撮影に要する時間(カメラが光をフィルムに焼きつける時間)は1/60〜1/1000秒ぐらいです。つまり本当に「一瞬」の出来事しか捕らえていないのです。

人間の目の場合はどうでしょうか。一瞬で捕らえるということも確かにあります。しかし「物」を「見て」 「描く」とすれば、まあ一概には言えませんが、例えば風景画を描くとき、いくら筆の早い人でも1/60秒では仕上げられません。最低でも30分とか、まる1日かけてとか、また何日も同じ場所に通って描き上げるわけです。

そしてその途中では日が陰ったり、風が吹いたり、鳥が横切ったり、木の葉が落ちたりと色々な変化が起こります。そして作者はその中でも印象的、象徴的な部分を取捨選択しながら絵を描いているということです。

要するにキュビズム以前から絵画の中には時間差を取り込むという作業が成されていたということです。

写真は「真実」を「写す」と書くだけに、どうも絶対的な真実やリアリティーを持っているように思われがちです。しかしそうではありません。人間の目はカメラとは比べ物にならないほどの情報量と柔軟性、創造性をもっています。写真が表現できるのはその中のほんの一部です。

バースデーケーキの箱を開ける前、子供には中のケーキが見えています。


オマケ-写真を見て絵を描く

写真を見て、またはトレースして絵を描くというケースがあります。しかし最近では写真をスキャナーで読み込んでPhotoshopのフィルターを一発効かせることで、あたかも筆で描いたようなCGを作ることが可能になりました。

そうなってくると果たして写真を見ながら描く絵、特に写実的な絵というものに存在意味があるのか?という疑問が生まれます。が、これは「ある」と答えて間違いないと思います。ただし何も考えずにただ機械的にトレースしたのではダメです。

前記したように絵には時間差を取り込めるというメリットがあります。これは描こうとするオブジェやモチーフに限ったことではありません。作者の心境、観察眼の時間的変化も含まれます。

ここに1枚の笑っている女性の写真があるとします。これを見た最初の印象は「キレイだけど特長のないオネイサンだな」だったとします。しかし5分ぐらい眺めていると「目もとがちょっと不自然だな、もしかしたら整形してるかも?」などと思いはじめたりもします。もう5分眺めます「美人のようだけど化粧落とすと結構ゴツイかもしれないな」というふうに感じたりもします。さらに写真を見つめます。「酒は強そうだな、きっと体育会系だな。キャラクターとしては明るい方だしカラオケなんか何でも歌っちゃいそうだな。パフィーなんか全曲歌詞カード無しで歌えるし..」と妄想モードに入って行きます。

等々想像力を膨らませているうちにオリジナルの写真にはないパーソナリティーが絵に現れてくるものです。ただし1枚の写真のみから勝手に想像したパーソナリティーなので、これがそのものズバリ当たっているのかといえば、ちょっと難しいかもしれません。しかし少なくとも「そんな一面もある」という範囲には入って いるはずです。