「困った子」は「賢い子」

  「困った子」と言われる子どもたちは実に「賢い」ものである。いたずらや乱暴の現場を先生に見せないものである。先生たちは、その現場を実際に見ない限り、その子を、先入観やたぶんでは叱らないものである。叱ってはいけないのである。

 乱暴されたと言ってくる子どもにも、「賢い」子がいる。実際には乱暴されていないのに、乱暴されたと言いつけにやってくる。さらに、実際にはやっていながら、言いつけられた子は、先生の手の内を経験的に知っていて、自分はやられたからやった、先に手を出したのは言いつけた子であると弁解することもある。先生たちは、実際にその現場に出くわそうと意図的に振る舞う場合もある。しかし、なかなか「困った賢い子」を上まわることはない。

 一方、幼稚園から帰ってきて、「乱暴された」と我が子に訴えられた保護者は気が気ではない。一度や二度は「子ども同士のことだから」と、自分や子どもを納得させるが、それも度重なると切れて担任に報告する。報告された担任はついにきたか、と思う。しかし、ここで「そうなんです。乱暴で困っています」とも「現場を押さえようと見張っています」とも言えません。そのようなことを言うと、保護者によっては、「先生は困っています。見張っています」と、言いふらす方がいるからです。ですから、担任はおおかたの場合、「気がつきませんで」と言い訳します。「困っている」「見張っている」と言いふらされるより、「気がつかなかった」と思われた方が得策です。なにより、実際にその子が乱暴したかどうかさえわかっていないし、保護者に言いつけたその子がうそを言っている場合さえあります。報告を受けた担任はどちらの場合でも、「やれやれ」と「とうとう」の気持ちで聞いています。先生はいたずらや乱暴については、その実際を目にしない限り、予想や推測で叱ったり注意したりしません。しかし、それらの実際に出くわしたときは、きちんと叱っています。ですから、切れて担任に報告することは一向に構いませんが、我が子の言いつけだけを信じ切っていると、先生方からあなたの常識を笑われかねません。

 「困った子」は「賢い子」です。なかなかその実際を見せることはありません。でも、担任は知っていて、きちんと対処しようとしています。「先生は何も知らない」と思うあなた、担任はその手の内を見せません。見せることのできない理由も分かってあげて下さい。そして、乱暴する子も、される子もあなた方のお子さまです。「困った賢い子」は、あなた方のお子さまです。