TVチャンピオンが描く似顔絵

TV東京「TVチャンピオン」の「似顔絵職人毒絵スペシャル」のチャンピオンが描きます。特徴を的確に捉えたオンリーワンの似顔絵は周囲を爆笑の渦に巻き込みます。 》続きを読む

似顔絵蘊蓄日記
  • お友達やご家族のサプライズなプレゼントに!爆笑の嵐となること間違い無し。
  • 料金は1枚に1人で1点5000円(税込)です。
  • 作品の納品は全てデジタルデータとなります。画面サイズは72dpiで幅400pix、背景が透明のpngデータになります。
  • 1枚に2人以上描く場合、大きな画面サイズをご希望の場合は、その旨をオーダーフォームのリクエスト欄に書いてください。折り返し料金と制作の可否を連絡します。
  • 似顔絵の修正、描き直しは受け付けておりませんのでご了解ください。
電話:090-9303-9758(斎藤)

0歳から100歳までの似顔絵で検証する
人生を変える似顔絵


似顔絵蘊蓄日記
似顔絵で疾患や奇形を連想させないために
〜水頭症〜
 2017.11.16
似顔絵では、頭を大きくデフォルメして描くことよくあります。標準に対して少しでも大きい場合は、思いっきり大きく描いて個性を強調するという似顔絵の基本です。

これは頭に限らず、身体の各部位についても共通して行われる技法です。

そこで頭を大きくデフォルメして描くことが水頭症を連想させないか?というと、これはなかなか難しい問題です。

ただし、完全に避けることはできなくとも、可能性を下げることには考慮しておかないといけないでしょう。

①側面から見た前後方向の誇張は避けるようにする。
②目の視線を下に向ける、または目を閉じて苦しそうな表情には見えないようにする。などのポイントが挙げられます。

似顔絵で疾患や奇形を連想させないために
〜先天性無鼻症〜
 2017.11.1
顔面の他の部分は、完全に正常であるにもかかわらず、鼻が全く形成されないのが先天性無鼻症という疾患です。

鼻孔と嗅覚器官が形成されていないため、口で息をすることになりますが、気管切開の手術も受けることで解決できます。そして元気に人生をまっとうできる可能性は高いとされています。

2億人に一人という低い確率での発症するようですが、見た目の印象は「不気味」とか「怖い」というより、「何か変?」とか「妙に可愛い」というもののようです。

アニメや漫画でも、鼻を省略することで可愛く見せるというのは、昔からある手法です。 そして、そのようなイラストは一般的にも非常に多く目にすることができるため、鼻の無い似顔絵から無鼻症を連想することは殆ど無いと思われます。

似顔絵で疾患や奇形を連想させないために
〜三つ目〜
 2017.10.15
連想されるイメージとしては、三つ目がとおる(手塚治虫)、エイリアン(トイ・ストーリー)、天津飯(ドラゴンボール)、などがあります。ただし「三つ目がとおる」や「天津飯」のように額の中央に眼窩が追加されるという奇形は実在しません。従って実在する三つ目の多くは、たまたま額の中央のでき物や腫瘍、外傷やCGによる合成写真などのようです。

1926年に生まれた「ビル・ダークス」は、先天的に口蓋と鼻が大きく裂けている奇形でした。しかし彼はドサ廻りのサイドショーにスカウトされ、「三つ目の男」として売り出し、人気者になりました。ただし「三つ目の男」の三つ目の目は大きく裂けた鼻の間に描き加えたものだったのですが、観客の多くはそのことに気がつかなかったとされています。

つまり「エイリアン」のように眼球が横に3つ並ぶという奇形も、実在はしないということになります。

そこで唯一可能性があるのが、結合双生児の2つの顔が融合して、互いの顔の片側部分を中央部で共有しているケースです。これは厳密には4つ目であったり、共有している目が、目としてはきちんと生成されていない機能しない目であったりもするようですが、外見上は三つ目に見えることもあるようです。

結合双生児とは別に、日本の彫刻家、金巻芳俊(かねまき よしとし)氏の「タユタ・カプリス」という作品があります。この作品には12の顔がありますが、それぞれの2つずつの顔は三つの目を共有しています。金巻芳俊氏は他にも多面フェイス彫刻と呼ばれる作品を多く作っています。

いずれにしても三つ目の人間が生まれて、一定期間生存する可能性は殆ど無いものと思われます。

似顔絵で疾患や奇形を連想させないために
〜双頭(結合双生児)〜
 2017.10.1
結合双生児の中には身体が一つで頭が二つの「双頭」と呼ばれるものがあります。発症率は一組/5万〜20万と言われています。アビーとブリタニーの結合姉妹やベトちゃんドクちゃんが有名です。

「双頭」は、人間以外の他の動物でも、古来より神の使いとして中国や東南アジアなどで崇められてきました。不気味さや奇妙さよりも、生命の神秘や偉大さを感じさせたのでしょう。

仏像の中にも「双頭」が存在しますし、神話の中にもオルトロス、アンフィスバエナなどが登場しています。ルネ・マグリットの作品「桟敷席」にも双頭の姉妹が描かれています。日本の漫画作品で半神(はんしん)は萩尾望都による結合双生児を扱った作品です。そして実際に、アビーとブリタニーも明るくポジティブに生きている様子がテレビで放映されています。

従って「双頭」の似顔絵が疾患や奇形を連想されるケースは少ないように思います。

似顔絵で疾患や奇形を連想させないために
〜単眼症(サイクロピア)〜
 2017.9.14
発症率は、10000人に7人というデータもあるようですが、100万人に一人という情報もあります。いずれにしても、今の日本ではエコーで早期に判るために、中絶されて出産に至るケースは殆ど無いようです。

原因については、遺伝子の変異やビタミンAの不足、強い精神的ストレスや、母親が服用した薬や放射線の影響等が複雑に絡み合ってるとも言われています。単眼症は、本来二つに分かれて成長するはずの脳が何らかの原因で片側だけしか成長せず、それに伴って眼球も1つしか生成されないということのようです。

脳が半分しかないために、人間の場合には無脳症と同じく死産か生後間もなく死亡することが殆どのようで、記録に残っている最も長く生きた例は一ヶ月だそうです(無脳症では1年以上という記録もある)。生存例が無いために架空のモンスターや妖怪などに使いやすいという事情もあるように思われます。

連想されるイメージとしては、マイク(モンスターズ・インク)、ロンドン五輪マスコット、ミニオンズ、鬼太郎の親父、一ツ目タイタン(仮面ライダー)、一つ目小僧、などがあります。

単眼症の特徴としては、目の上に鼻の原型の象鼻と呼ばれる特異な形状を呈するものが存在します。

通常は眼が左右に分離した後に鼻がその間を通って眼の下方に位置するようになるのですが、単眼症では鼻の移動ができず、単眼の上方(額の部分)に象鼻として位置していることが多いようです。また脳が半分しかないために頭の容積が小さく、頭が成長しきっていないために両耳が顎の下付近に位置していることもあるようです。

従って、似顔絵として単眼症を連想させないためには、眼窩意外の部分は出来るだけ、正規の位置、大きさ、数に描くことがポイントとなります。

似顔絵で疾患や奇形を連想させないために
〜プロテウス症候群〜
 2017.9.2
映画「エレファントマン」のジョンメリックの疾患として有名です。

しかし実際には、世界的にも症例が少なく、先進国全体で過去に500未満とも言われています。骨や皮膚が異常な成長をしてしまうモザイク活性化変異という遺伝子の病気で、日本では実例が無いとされています。

モザイク活性化変異は、変異対立遺伝子が 1%から約 50%の割合で混合して存在するための、身体の各部位が左右非対称に異常な成長をしてしまうことになります。

似顔絵として、このプロテウス症候群を連想させないためには、特別の理由が無い限りは、身体の左右片側のみを誇張して描かない。また、顔面への意味の無い左右非対称のデフォルメを避ける、等が考えられます。

似顔絵で疾患や奇形を連想させないために
〜トリーチャーコリンズ症候群〜
 2017.8.15
トリーチャーコリンズ症候群は、頭蓋骨の発育が不完全になる遺伝子の疾患です。目、鼻、口が無作為の位置に左右非対称に存在し、個人差も大きいようです。

発症率は1万人に一人と言われていて、連想されるイメージとしては、福笑い、ピカソのマリー・テレーズの肖像のようなキュビズムの肖像画、初心者が描いた明らか左右対称が描けていない石膏デッサン、などがあるかと思います。

似顔絵でトリーチャーコリンズ症候群を連想させないためには、微妙に左右非対称に見えるように描かないこと。意味の無い目鼻の位置の移動は控えること。作為的に崩れた(崩壊した)イメージを与えないようにすること、などが挙げられます。

しかしながらトリーチャーコリンズ症候群の患者やその家族はが、画集を開いてピカソのマリー・テレーズの肖像を見た途端に、その画集を閉じてしまうことでしょう。辛くて直視できないことは容易に想像できます。

ピカソのマリー・テレーズの肖像が有名な芸術作品であると。トリーチャーコリンズ症候群が極めて稀な疾病であること。との理由で、このことに言及する人もいないのでしょう。

キャンディーズの法則-3  2017.8.1
それではなぜこの一連の投稿のタイトルが「キャンディーズの法則」なのかを説明しましょう。

今風に言えば「パフュームの法則」でも「ベビーメタルの法則」でも良いのですが、おじさんおばさんでもわかりやすいように「キャンディーズの法則」とさせていただきました。

雑誌の表紙でキャンディーズの写真を使うとしましょう。そのとき、その写真を見た多くの人に「あっ、キャンディーズだ!」と、わからせることが重要になります。言い換えれば「あっ、キャンディーズだ!」とわからせるだけで良いのであって「ランちゃんとスーちゃんとミキちゃんだ!」とまで言わせなくてもいいのです。

つまり3羽1からげでのキャンディーズであって、それ以上の各個人のキャラクターや個性を表現することはしないで良いのです。3人まとめてボワっとキャンディーズであるだけで良いのです。

そうすることで、見た人は雑誌の表紙に書かれた各記事のヘッドラインやタイトル、その他諸々のテキスト情報に目を移すことができます。つまり写真を見た後には、素早く文字情報に視線を誘導しなければいけないということが重要なのです。

仮にランちゃん、スーちゃん、ミキちゃんの写真が、各自の個性を強く表現した、物語性のある、芸術性の高い写真だったとしましょう。そうすると見た人はそこで色々なことを想像し、考えてしまいます。そして諸々のテキスト情報に目を移すことをしなくなるかもしれません。

増して雑誌というものは一般大衆がターゲットであって、芸術性や深い思考を求めたりするものではありません。浅く、軽く、早くあるべきものなのでしょう。

これは同じく大衆芸能としての要素の強い「浮世絵」についても言えることなのでしょう。浮世絵に書かれた「顔」がみんな同じようであるのも「キャンディーズの法則」なのかもしれません。ただし浮世絵には多くのテキスト情報はありません。その代わり絵としての構図や背景などで、全体的に訴える「雰囲気」「世界観」「空気」のようなものを優先するために、描かれた人の顔の個性は敢えて殺しているのかもしれません。

キャンディーズの法則-2  2017.7.14
人間の目は、一般的に複数の人の顔を同時に見ることはできません。もちろん同じ視野の中に複数の顔を入れることはできます。ただし、その瞬間に、それぞれの顔の表情から、その人の感情や思考を推測したり、読み取ることは困難になります。

感情や思考を読むには、相手と1対1で対時しない限りは、脳の処理能力が追いついてはいけなくなるでしょう。

従って、肖像画やポートレイト写真は1枚の絵(写真)に描く(写す)のは基本的に1人なのです。複数を描く(写す)と見る側の視覚と脳の処理が追いついてはいけぜに、散漫になってしまいます。1枚の絵は、ひとくくりの限定された視覚空間なのです。

だから、1枚の絵(写真)に複数の人の顔を描く(写す)場合には、その複数の顔は、同じような顔に描く(写す)のです。

キャンディーズの法則-1  2017.7.1
日本の浮世絵でも西洋の油絵でも最近のグラビアでも、1枚の絵(写真)の中に描かれている(写っている)人の顔は似たような顔である場合が多いようです。

なぜかと言うと、そのほうが納まりが良く、1枚の絵(写真)としてのまとまりが良いのです。

仮に1枚の絵(写真)に3人の顔が描かれて(写って)いて、それぞれが「似顔絵」のように、その人となりや個性が強調された、デフォルメされた絵(写真)であった場合には、作品としてのポイントが散漫になり、見る側にとっても「どこを見ればよいのかわからない」ような落ち着きのないものになってしまうはずです。

もしも、1枚の絵(写真)に描かれて(写って)いる顔が「似顔絵」のような強烈な個性を表現していた場合には、その「顔」の部分にだけ注力させるような、衣装や背景の簡略化や、無理のない構成や配色などの工夫も必要になるでしょう。

似顔絵の肖像権について-3  2017.6.14
似顔絵の肖像権については「似てるかどうか?」という問題もあります。作者は似てると思っていても、客観的に見れば「全然似てない!」似顔絵は「似顔絵」と言えるかどうか?という根本的な問題です。

実はそこのところが非常にファジーであるために。テレビのワイプなどで写真が権利上使えない場合に似顔絵が使われます。また裁判でも写真撮影は禁じられているので被告や裁判官の似顔絵が使われます。

いずれも似顔絵は写真ほどのリアリティーはなく、本人と特定しづらい。という前提があるのだと思います。まだまだ似顔絵というものの認知度と地位が低く、世の中には多くの駄作が出回っているということが、その要因になっているのかもしれません。

しかし似顔絵作品の中には「写真よりも似ている!」「本人よりも似ている!」というものもあることは確かです。

「全然似てない!」似顔絵には、似顔絵の同じ画面内にモデルとなった人の名前が書かれていたり、その人と特定できるような衣装や小道具が描かれていたりします。

例えばへのへのもへじにACミランの背番号10のユニフォームを着せて、その画面の傍に「本田圭佑」と書かれていた場合に、その絵が「本田圭佑の似顔絵」と言えるのかどうか?という問題もあるわけです。

さらに写真をPhotoshopのフィルタで加工したもの、また作品の一部にそういった加工を施したものを「似顔絵」と呼べるか?というような問題にも発展していきます。

似顔絵の肖像権について-2  2017.6.1
有名人の似顔絵を、個人のウェブサイトで公開したい場合があったとします。「商用利用」ではなく、見た人を楽しませることだけが目的だったとします。

そこで、念のため、その有名人のプロダクションに掲載許諾依頼のメールをしたとします。しかしほぼ100%は返信が来ないと思って間違いないでしょう。

まず、プロダクションはそんな細かい依頼にいちいち構っている暇はありません。そして作品がエロ画像やグロ画像の可能性もあり、著しくイメージを損なうものかもしれないので、安易にOKは出せません。OKを出すのであれば、掲載する作品の事前チェックをしたり掲載条件を規定したりしなければいけなくなります。ただし、ただでさえ忙しいプロダクションが一銭の利益にもならないことで、そんな作業はしてれられません。仮にレスするのであれば、諸々の事情を踏まえれば「NG」と言うしかありません。

とはいっても似顔絵が公開されることでの宣伝効果に繋がり、ファンが増えて間接的にプロダクションの利益になる可能性もあります。

従って、基本的にはNGなんだけど、多くの場合は見て見ぬ振りで、度が過ぎる場合には対応を考えるというスタンスのようです。ただし、個人が及ぼす影響などというものは、たかが知れています。

また、普通は訴える前に、削除要求が来るはずです。もし、迫女要求が来た場合には、素直に応じる心構えも必要です。応じないで戦ったとしても、損することはあっても得をすることは何も無いでしょう。

似顔絵の肖像権について-1  2017.5.14
これははっきり言って全てがグレーゾーンであり、具体的に訴訟と判例がないと、良し悪しは判断はできません。ただし幾つかの押さえておく必要があるポイントはあります。

その1つは「商用利用」してはいけないということです。特に有名人の場合、「有名人の顧客収集力を利用した営利行為」に該当します。個人の趣味の範囲であれば、その多くは黙認されますが、有名人の似顔絵を掲載した印刷物を販売したり、有料会員サイトで公開したり、掲載したページ内に他のサイトの広告バナーが貼ってあったり、アフェリエイトを行っていた場合などには「有名人の顧客収集力を利用した営利行為」に該当し、訴えられる可能性があります。

「商用利用」をするのであれば、その有名人の事務所やプロダクションに正式に許諾をとり、きちんとしたビジネスとして利用する必要があります。ただし、使用料金の設定や、二次利用の防止、利用条件の設定など、煩雑で手間のかかる問題が多く、多くの場合、許諾は得られないようです。

画家とイラストレーターの違い  2017.5.1
画家とイラストレーターの違いとは、簡単に言うとイラストレーターは「作品が完成するまでの時間が短い」ということで、画家は「作品との対話の時間が長く、なかなか作品が完成しない」ということでしょう。

言い方を変えれば、イラストレーターは、完成した作品に、そこからさらに筆を入れることを嫌います。また、筆を入れることで完成度が下がります。つまり「完成」という着地点が時間軸の中で予め決まっているということになります。

また、イラストレーターの作品には「マチエール」の必要は無く、画家の作品には「マチエール」が必要だということになります。

では似顔絵はどうでしょうか?一般的には似顔絵師はイラストレーターに近いと思われがちですが、「似るまで描く」または、「似て無いうちは、描くのを止めてはいけない」という点では、画家に近いかもしれません。

美容整形  2017.4.15
整形外科学とは、人体の骨・関節・筋肉等の運動器系を主に診療研究する外科学の一分野とされています。従って「美容整形」は、正しくは「美容外科」ということになるようです。

美容外科は1978年(昭和53年)に医療法によって正式に標榜科目に認可されました。まだ40年経っていないということになります。

ヤミとか地下で受けた美容外科手術は別にして、日本国内で正規に受けた美容外科手術では、その患者(というより顧客)が、50年後、60年後にどのようになるかという事例は無いということになります。

似顔絵を描くために顔を観察していると、美容外科手術を受けた顔というのはだいたい判別できます。鼻は動きが少ないのでなかなかわかりませんが、目や口元は皮膚の変化が大きいので、普通では有りえない箇所に笑い皺が出来たり、不自然に引きつったりします。

人間の皮膚は年齢とともにだんだんと弛んでいきます。それは、部分的にストレスがかからないように、全体に平等に自然に力を逃していくようになっていきます。その動きや流れを人為的に変えてしまうと、加齢による皮膚の弛みと共鳴したり相殺したりしてしまうかもしれません。

笑っているのに怒っているような顔になる。深刻なのにほくそ笑んでるような顔になる。というようなことです。

場当たり的な、その場だけのメリットを求めると、長期的に見た場合にはデメリットのほうが大きいという一般論でもありますが。

だいたい良いと言えます  2017.4.1
なんやかんや言っても、人間という動物の顔はだいたい似たようなものなのです。その似たような顔の中から無理矢理にその個体が持つ特徴的な部分を見出してデフォルメという手法によって個体が判別できるようにするものが「似顔絵」なのです。

基本的に似たようなものなので、そうそう特徴的な部分は見出せません。見出せるとすれば、一般的には「口」「目」「顔のシルエット」などといった瑣末な部品であり、個体によっては、それが「鼻」「眉」だったりもするわけです。

そしてそれがもっと瑣末な「髪」「衣服」であったりもするわけです。

所詮は全ての要素をその個体の特徴的な部分をデフォルメするというのは相応な労力を要するわりにコスパは高くありません。

従って特に個体の特徴が表現しやすい1〜2つを的確に表現できれば、他の部分は「適当」「手抜き」「何でも有り」でも、だいたい良いのです。

人工物に似せた似顔絵  2017.3.16
本人が普段着ていないであろう衣装を着せて描く。本人が人前では絶対にしないであろう動作やポーズを描く。全く別の職業に見立てて描く。などで似顔絵の「意外性」と「見る人の想像力」が広がります。

また、構造も形も用途も大きさも存在意義も人間とは全く異なる「道具」や「無機物」や「製品」に合体させた作品というのも非常に味わい深いものがあります。制作にもかなりのエネルギーを要するので、事例は多くはありませんが、以下のような作品が該当します。 人工物でも「乗り物」のように動く物であれば、その進行方向がそれとなく「顔」に見えるデザインをしていますが、顔的な部分が存在しない「道具」や「用品」はかなりの無理矢理感が漂う物になりますが、そのこじつけ感がかえって面白かったりもします。

動物に似せた似顔絵  2017.3.1
あの人を動物に例えると?色々とイメージしやすいですね。動物は人間と同じく、目が2つ、手足が2本ずつでイメージを重ね合わせやすいです。例えば以下のような作品です。 以上はその中のほんの一部で、特に分かりやすい作品を抜粋したものです。上記以外のも「犬っぽい」「猿っぽい」「馬っぽい」作品は沢山あります。特に哺乳類はそもそもが構造的に人間に似ているので、デフォルメしていくうちに自然と何かの動物に似てくることも多いです。

一般的には「ゴリラ」や「クマ」がハマりやすいと思われがちですが、実は「カエル」「アザラシ」「フクロウ」が妙に人間っぽい顔をしています。

似顔絵では何が重要か?-シチュエーション  2017.2.16
似顔絵のモデルが置かれる絵の中のシチュエーションによって見る人の印象は変わってきます。そしてそのシチュエーションは見る人の経験や興味によって、展開が広がり連想が連想を呼び色々と面白くなってきます。

何かを食べさせたり、楽器を演奏させたりすると、見た人は「ほんとにこの人はこんなことできるの?」と勝手に想像します。

さらに誰でも知っているアニメのキャラなどを合体させるとさらに想像が広がり楽しい作品になります。以下はその一部です。

似顔絵では何が重要か?-目  2017.2.1
「目」を強調するということは、ほとんど全ての似顔絵に共通しています。また、「目」を省略してしまうと、ほとんどの似顔絵が「誰だか分からなく」なります。

仮に「目」を省略してしまうと、口や鼻、顔のフォルムや髪の毛、衣装やシチュエーションを総動員で補い「誰であるか」を示唆させなければなりません。そうなると「そこまでして描くのか?」という疑問が生じてきます。

ただし「目」を省略することはできませんが、描いてある「数」を変えて印象を操作することは可能です。
ルー大柴
高津臣吾(元ヤクルト)
久保純子
細川ふみえ
友近
イ・スンヨプ(元巨人)
小池百合子
ゲスの極み乙女。

似顔絵では何が重要か?-鼻の穴  2017.1.14
「鼻の穴」を描くだけで、なぜか下品で貧乏臭い雰囲気になってしまいます。従って、かっこよく見せるために描いてはいけない要素の1つです。

人間にとって「鼻の穴」は呼吸をしなければいけない欠かすことのできないパーツです。しかし呼吸を行うための「穴」として以外には、臭いを感ずる程度の役割しかありません。しかも「鼻くそをほじる」という行為をイメージしたり、「ブタ」という動物を連想させたりします。

しかし似顔絵を描くに当たっては、下品で貧乏臭い雰囲気の他に「コミカル」なイメージを醸し出すときに使いわれるようです。
関根麻里
ケイン・コスギ
山尾志桜里
研ナオコ
堀江貴文
上西小百合
筒香嘉智(横浜DeNA)
森昌子
浅茅陽子
大泉洋
小保方晴子

ほぼ全ての似顔絵に取り入れることのできる要素とも言えます。

似顔絵では何が重要か?-歯  2017.1.1
アニメやコミック名度で主人公を美しく、かっこよく見せるために描いてはいけないのが「歯」です。

そして「歯」が見える状況というのは「笑っている」「食べている」「喋っている」といったシチュエーションになります。ただしよほどの空き歯で無い限りは歯の1本1ぽんまでは見えません。これを逆手に取って歯の1本1ぽんを描くことで非常に下品な雰囲気になります。

歯の1本1ぽんが見える状態とは、唾を飛ばすような勢いで喋っている、大声で笑っている、というよう場面を直近で見ているということになります。従って見てはいけないものまで見てしまったような仄かな罪悪感を含めた品の悪さが表現できます。

歯を描いた有名人の似顔絵には以下のようなものがあります。
杉田かおる
吉田美和
前田敦子
フィフィ
松下奈緒
ベッキー
上村愛子
にしおかすみこ
蓮舫
福士加代子
久本雅美
榊原郁恵

実際にはこのサイトの似顔絵作品の5枚のうち1〜2枚は歯が描かれています。従って上記はそのほんの一部ということになります。

似顔絵では何が重要か?-髪  2016.12.15
まずは髪から描くという人が多いようです。描かれた人も喜ばすという意味では髪を正確に描くということは大切かもしれません。また、髪は動かないので観察もしやすく、髪を描いただけで「う〜ん、雰囲気が出てきた」と勘違いすることも多いのです。

しかし似顔絵は顔を描くものです。髪は描かなくてもその人であると判らせることができます。「えっ、そうなの?」と思われるかもしれませんが、例えばあなたが美容院に行って髪型を大きく変えて家に帰ってきたとしましょう。すると家の人は「あら、いいじゃない、その髪型」とか「印象が変わったね」とか言います。決して「失礼ですがどなたですか?」とか「すいませんが部屋、間違えてますよ」とか言いません。つまりいくら髪型を変えても「その人」であることはわかるのです。

顔において髪の占める面積は大きく(大きくない人もいますが)、一見大切なように見えますが、髪によって感情や気持ちを伝えることはできません。髪によってその人の「人となり」を表現することはできません。

髪を省略して描いた有名人の似顔絵には以下のようなものがあります。
相葉雅紀
柴田理恵
高橋尚子
安室奈美恵

まずは髪以外の部分で似せましょう。髪を描くのは最後の最後の最後にしましょう。

似顔絵では何が重要か?-口  2016.12.1
顔の中で最も形状が大きく変化するのが口です。目もその人の個性を表現する上で重要ではありますが、目の形状の変化の範囲は限られています。

それに比べて口は「開く」「閉じる」の差が非常に大きく、歯を見せるか見せないかで印象も大きく異なります。しかし唇や歯並びには個性はあるものの、口そのものには実はあまり物理的な個性というものは見当たりません。

口は生命を維持するために食料を挿入する穴なので、その挿入する食物の大きさや形に応して口の形状も大きく変化させる必用があります。蛇と同じです。従って個体差や個性があったにしても「開く」「閉じる」の差が非常に大きいため見つけられないのかもしれません。

しかし蛇と人間が違うのは、人間は「食べる」ということ以外に、口を使って「会話」というコミュニケーションを行います。「会話」には相手に自分の意向や気持ちを伝えるという役割もあり、そこで口の役割は重要になってきます。動かない部品である「鼻」や「耳」では意向や気持ちを伝えるということはできません。

似顔絵を描くときの「口」は、そこにその人の物理的な個性を見出すのではなく、いかにそのひとらしい、キャラを反映させた表情を捉えるかというほうが効果的で効率的あると言えます。

似顔絵では何が重要か?-名前  2016.11.20
有名人の似顔絵を描いた画面の片隅にその有名人の名前が書いてある似顔絵を見かけます。これは最悪です。「私の似顔絵は名前を書かないと誰を描いたのかわからないくらいに下手くそです」と自白しているに等しいのです。

名前を書くのであれば最初から「絵」は必要無いと言ってよいでしょう。有名人であれば見た人はその有名人の顔を思い出し、イメージすることができるはずです。絵と同じ画面上に名前のテキストデータが同居していれば、どうしても人はその名前のほうを読んでしまいます。名前が書いてあれば、絵のほうは「棒人間」でも「へのへのもへじ」でも構いません。

試しに「有名人の似顔絵」をキーワードにGoogleで画像検索してみましょう。たま〜に有名人の名前が書いてある作品が出てきます。そしてそんな作品に共通しているのが「似てない」ということです。名前でなくても、その有名人の歌っている歌詞の一部や、頻繁に口にする言葉や、キャッチフレーズのようなものが書いてある場合もありますが、そういった作品も、押し並べて似ていません。

似顔絵では何が重要か?-鼻  2016.11.2
デッサンなどでは顔の構造的な中心にある「鼻」を基準に顔の構造をイメージしていくという方法もあるが、似顔絵の場合、鼻のプライオリティーは極めて低いのです。

よほど鼻が高いとか、鼻の穴がでかいとか、鷲ッ鼻であるとかの特徴がある場合を除き、目や口のように動きのない「鼻」というものは、見た人の印象も薄く、場合によっては省略しても誰であるか分からせるには十分なのです。

鼻を省略した有名人の似顔絵には以下のようなものがあります。
江角マキコ
雛形あきこ
宝生舞
井上和香
ケイト・モス
木村佳乃
桃井かおり
三宅宏実
錦織圭

また、鼻は、その個人の特徴というより、人種としての特徴を表現することにもなり、個人をキャラクタリスティックに描く「似顔絵」には、鼻を誇張することが必ずしも相応しくない場合もあります。

似顔絵では何が重要か?-顔のフォルム  2016.10.15
顔のフォルムを間違って描くと、他の部分がどんなに似ていたとしても「似てる」と感じさせる似顔絵に仕上げることは困難になってきます。

特に「目」や「髪型」に特徴があるモデルを目の前にしたときには、早く「目」を描きたい!と思う気持ちが「顔のフォルム」の観察と表現を蔑ろにしてしまう傾向が強くなってしまいます。「顔のフォルム」は家を建てる時の「土地」のようなもので、土地の広さや形を間違って設計してしまうと、計画通りの家を建てることができなくなります。

正確に観察して、的確なデフォルメを施すことが、似てると思わせる似顔絵を構築することの土台となるのです。

また、この土台の時点では、他のパーツ(目、口、鼻など)よりも思い切って極端なデフォルメを施すことが重要になります。「顔のフォルム」はカタチだけで見せる部分なので、普通に描いたのでは印象は薄くなります。そして目、口、鼻などのパーツを配置していく上でも重要なポイントとなります。消して手を抜いてはいけないプロセスなのです。

似顔絵では何が重要か?-体  2016.10.1
似「顔」絵なので「体」はあまり関係ありません。というか全く関係ありません。「体」だけの特徴を描いて、その人と分からせる「絵」もあることでしょう。例えば「イチロー」がバッターボックスで構える前の一連のルーティーンの1コマを特徴的に描くことで、たとえ顔を描かなくても「イチロー」であることを分からせることができれば、それはそれなりに評価できる作品ということになるでしょう。

しかし多くのイチローの似顔絵は、マリナーズやヤンキース、マーリンズのユニフォームを正確に描き、背番号が51か31であり、体型やルーティーンの1コマが似ていなくても明らかにイチローであることがわかるものになっています。しかも顔が全然似ていなかったりもします。これでは「似顔絵」とは言えないでしょう。

他のスポーツやアイドルグループであっても、ユニフォームや衣装を正確に描くことで、無理やりの「その人であること」を分からせるというのはの似顔絵では「反則」と言える行為でしょう。

裸で、筋肉のつき方や体型の特徴を描いて、顔を描かなくても「その人」と分かるような絵であれば、それはそれで素晴らしい作品と言えるでしょう。しかし、それで誰であるかを見て分かるのは相当なマニアックな人でしょう。または家族にしか分からないかもしれません。

裸の体だけで誰だか分かるのはこの方ぐらいでしょう。

仏頂面  2016.9.16
「仏頂」は「仏頂尊」のことで、仏頂尊とはお釈迦様の頭上(仏頂)に宿る広大無辺の功徳から生まれた仏であるとのことです。

仏頂尊は威厳に満ちていて、知恵に優れている顔をしているのですが、無愛想で不機嫌にも見えることから「仏頂面」という言葉が生まれらしいのです。

その他にも、嫌そうな顔つきの「不承面(ぶしょうづら)」が転じたとする説や、ふて腐れた顔つきの「不貞面(ふてづら)」から「仏頂面」になったとする説もあるとされています。

いずれにしても「仏」は実在しないわけで、仏像彫刻でしか我々は見ることができません。その仏像彫刻が無愛想で不機嫌にも見えるとするならば、それはモデルとなって模倣された実在する人間が、威厳に満ちているものの、無愛想で不機嫌にも見えた顔をしていたのでしょう。

そして現在でも、仏頂面をした部長とかはどこの会社にも居ます。決して無愛想で不機嫌なわけではなく、物理的な顔の作りが仏頂面に見えるのです。

いずれにしても威厳に満ちていている顔と、不機嫌な顔は紙一重のようです。

どう受け入れるか  2016.9.2
自分の顔を「美人」とか「イケメン」だと思っていた普通の人は、そのほとんどが「美人」でも「イケメン」でもない普通の顔です。そして「負」(だと思っている)特徴を誇張されたような似顔絵を描かれてしまった場合、その作品を即座に受け入れることはできません。

その作品は明らかに自分が普段見ている「鏡の顔」や「写真の顔」とは違っています。

しかしよーく考えてみると、違っているのは似顔絵ではなく、自分が普段見ている「鏡の顔」や「写真の顔」のほうなのです。

そのことに気がつかない人、または気がつきたくないと思っている人は、いつまで経っても負の特徴を誇張されたような似顔絵は受け入れることはできません。

本当の自分の姿を「見まい」とする気持ちが、真実を真摯に受け入れようとする気持ちを上回っているうちは、色々な意味で、何をやっても世の中から評価されることは難しくなるでしょう。

普通の顔  2016.8.14
似顔絵を描かれた人の立場で考えてみましょう。自分ではどう見ても似ていない。自分とは思えない作品が仕上がったとします。もしも似顔絵イラストレーターと自分の二人だけしかその場にいないとしたならば「似てないよ!」「描き直し!」とか言えるかもしれません。

ところが数人の友だちがその場にいて「うわっ!そっくり!」「すげー、超似てるわ!」とか言ったとします。そうなると「似てないよ!」「描き直し!」とは言えなくなります。

実はほとんどの人は自分の顔というものを正しく、客観的に見ることはできないのです。鏡を見るとき、カメラを向けられたとき、には知らず知らずに「鏡用」「カメラ用」の顔になっているのです。そしてその「鏡用」「カメラ用」の顔は、普段の生活の中で、友だちや家族から見られてる顔とはかなり違っています。

多くの人は実際よりも自分の顔を「美人」に、「イケメン」に思っています。ところが残念ながらほとんどの人は「普通の顔」の人なのです。

距離感  2016.8.1
欧米と日本の大きな違いの一つが「部屋の広さ」です。そして部屋が狭いということは、自ずと住んでいる人たちの距離感が変わってきます。

欧米人は個人を識別するためには動作、衣服、雰囲気、声など、人間全体を見て判断します。日本人は個人を識別するためには顔を見て判断します。

だから日本語には「顔色を窺う」「顔が揃う」「顔に泥を塗る」「浮かない顔」「何食わぬ顔」など、顔と表情に関する慣用句が多いのでしょう。

欧米人は身体も大きく、動作もダイナミックで、コミュニケーションする時のお互いの距離も日本人より離れていて、身体全体を使ってコミュニケーションします。

顔に重点を置いた日本人のコミュニケーションの方法が「似顔絵」という文化を築く基礎となったのかもしれません。

蝋人形  2016.7.16
ヨーロッパのマダム・タッソーの蝋人形館は実によくできているという印象を受けます。これに対して東京の蝋人形館はイマイチという印象を受けます。

どこが違うのでしょうか?まずは白人の肌のほうが透明感があり蝋での表現がしっくりいっているのではないか?ということを考えましたが、ヨーロッパにも黒人や東洋人の蝋人形はあります。蝋人形自体のクウォリティは恐らくヨーロッパも東京も同じではないかと想像します。

では何が違うか?それは「演出」ではないでしょうか。東京の蝋人形館は限られた狭いスペースに所狭しと蝋人形が並んでいます。

ヨーロッパのマダム・タッソーでは廊下から部屋の中を覗くと、部屋の片隅に小さな机があり、そこでアンネ・フランクの蝋人形が執筆しています。1体の蝋人形のために部屋も1つ作ってあるのです。

また、廊下を曲がると正面にいきなりボリス・ベッカーがラケットを持って廊下の真ん中で構えています。

基本的に入場者が少なく土地も広いということもありますが、モデルとなった有名人をどのように見せれば最も効果的であるか、ということを周到に考えてあります。

東京は残念ながら、モデルとなった有名人をどのように見せれば最も効果的であるか、というのは衣類とポーズを工夫するにとどまっているようです。

不気味の谷現象  2016.7.1
人間そっくりな姿のロボットを目の前にすると、人はどこか不気味な印象を受けます。これは「不気味の谷現象」と呼ばれるもので、ロボットがより人間らしく作られるようになるにつれ、ある時点で突然強い嫌悪感に変わるというものです。しかしこの「不気味の谷」を越えればより一層の親近感を覚えるようことになります。

これは東京工業大学名誉教授のロボット工学者の森政弘氏が1970年に提唱した理論です。

このことはロボットだけでなく「似顔絵」にも当てはまることではないかと思います。まず本人そっくりに描かれたリアルな絵、または「写真」は、「不気味の谷」を越えた一層の親近感を覚えさせる成果物であるとしましょう。次に本人に似せて描かれたコミック風なイラストやアニメ風なポンチ絵みたいものは、人間らしく作られるようになる初期段階のロボットとしましょう。

そして本人の特徴を捉え、見事にデフォルメされた似顔絵は、描かれた本人にとっての「不気味の谷」の中に存在するものになるのです。従って本人が「私の似顔絵」として大事にしているのは、リアルな絵かコミック風なイラスト、のどちらかになります。

「不気味の谷」に存在する見事にデフォルメされた似顔絵は、周囲の人間がどんなに「似てる〜!」と言おうとも、本人的には「不気味の谷」でしかないのです。だから世の中には似てない似顔絵ばかりが多くなってしまうのです。

何の絵が難しいか?-2  2016.6.15
では肖像画や人体デッサンなどの人間の絵はどうでしょうか?人体には骨格があって基本的には左右対称形であり、各関節を支点として様々な動きをするということを考えれば決して簡単なものではありません。

ただし人間を描くということは、人体を正確に描写することよりも、「人」を描く、「人の表情から推測できる感情や心」を描く、その人「個人」を表現するということに目を奪われてしまいます。

仮に描く対象物が「馬」であった場合、「馬」は人間ほどの表情もないので、「馬」の絵を見た人は、その「馬」としてもリアリティーや躍動感、生きる力のようなテーマに注力することになります。つまりきちんとデッサンのできた馬でないと、なかなか絵としての魅力は伝えられないということになるでしょう。

動物は基本的に「裸」です。人間は「衣類」や「アクセサリー」を身に付けています。人間は動物として生きているだけではなく、その動作にも色々と意味があります。つまり本当にモチーフとしての人間を正確に描写することは難しいのですが、その反面では色々と誤魔化しが効く、ということになります。

一般的には「人間は描けるけど、馬は描けない」という人が多いのはそんな理由からでしょう。

何の絵が難しいか?-1  2016.5.22
何の絵を描くのが難しいか?を語る前に、どんな絵が最も描くのが簡単か?を説明しておきましょう。まず一番簡単なのが空、雲、森などの風景画。なぜ簡単かというと、空、雲は形がどんなに狂っていても、色彩がどんなに違っていてもわからないのです。

では最も難しいものは何か?というと人間が作った工業製品です。例えば自動車を遠近法で正確に描くのはプロのイラストレーターにとっても至難の技であり、何度も何度も描き直さないと納得のいく絵には仕上がりません。

例えば倒れた自転車を起こして人が乗っても走れるように描くのも同様に非常に難易度の高い作業です。

例えばペットボトル。水が入った雰囲気を描くのは根性さえあれば何とかそれらしく描けますが、フリーハンドで楕円を正確にデッサンするのは簡単ではありません。自称「絵が上手い」という人でもペットボトルを正確にデッサンできる人は限られています。本当の絵の実力を知るにはペットボトルや水道の蛇口を描くと一目瞭然です。 

左右非対称  2016.5.1
似顔絵を描くにあたってはモデルを目の前にして描くことが理想なのですが、写真や動画を見て描かなければいけないケースも少なくありません。動画であれば動きや表情の変化の様子が観察できて、モデルを目の前に居るのと近い状態で描くことができます。

ところが写真を見ただけでは、なかなかそのモデルのキャラや「人となり」を掴むことができません。写真をモデル本人が選ぶ場合には、基本的に「似てない写真」を選ぶことが多いようで、その人の「らしさ」ようりも「かっこ良く撮れてる写真」「キレイに写ってる写真」を優先してしまいます。結果として、似ている似顔絵ではなく、「かっこいいお兄さん」「キレイなお姉さん」になってしまい、似顔絵を描くという意味がなくなってしまいます。

とはいっても自分で自分らしい写真を選ぶのは難しいです。客観性の有無とは別に、左右非対称という問題があります。

多くの人の顔は左右非対称であり、自分が鏡で見たときの顔と、他人から見た顔または写真に写った顔とでは、左右が逆になりぱっと見の印象が違って見えます。例えば「麻生太郎」「毛利衛」「北野武」などは左右非対称の代表的な顔です。

逆に左右対称な顔の有名人としては「草薙剛」「香椎由宇 」「水野美紀」などになるでしょうか。

いずれにしても似顔絵を描くときのポイントの一つが、顔の左右をどう描き分けるか?ということが挙げられます。

3Dプリンター  2016.4.13
マイクロソフトから発売されたKinect(キネクト)というゲームコントローラーデバイスがあります。このキネクトを利用することで人物の360°の静止画データを撮ることができます。

そしてそのデータを3Dプリンターで再現することで、比較的簡単にそのモデルとなった人物の「フィギュア」を作ることができます。

キネクトは1万円ちょっと、3Dプリンターも家庭用で20万円以下でそれそれ購入できます。あとはこれらの機器とパソコンの操作でできる人間(特別で高度が技術が必要なわけではありません)が1人いるだけで「フィギュア」ができてしまうわけです。

「フィギュア」はバストアップのもので高さ3cm程度のものであれば1時間以内で出来てしまいます。ただし色は素材の色1色です(素材の色を選ぶことは可能です)。

3Dプリンターの技術はまだまだ発展途上で、これからは、もっと早く大きなサイズのものも出来るようになるでしょう。素材の1色だけではなく、フルカラーの「フィギュア」も可能になってくるでしょう。

そして、ご察しの通り、この「フィギュア」は、似顔絵の需要と重複します。3Dプリンターによる「フィギュア」には似顔絵イラストレーターのような特殊なスキルは不要ですし、自分の「フィギュア」ができた時の感動は似顔絵に匹敵(もしかするとそれ以上)するものがあります。

そしてモデルそのままのデザタルデータが元になっているので「似てな〜い!」と言うこともできません(言っても誰にも信んじてもらえません)。

これはタイヘンな時代になった!と思われるかもしれません。似顔絵イラストレーターの仕事はなくなるのではないか!と思われるかもしれません。

でも、きっと大丈夫でしょう。世の中に「カメラ」と「写真」が登場しても、似顔絵という文化は残ってきたわけですから。

「リアル派」と「デフォルメ派」  2016.4.2
似顔絵イラストレーターの中に似顔絵を「リアル派」「デフォルメ派」に勝手に分類している人がいるようです。そしてその人は「私はリアル派なのでデフォルメは描かないんですよ」と言っているようです。リアル派というのは見たものをそのままリアルに描くということで、日本中の美大生や美術予備校生が描いている、いわゆる「デッサン」や「クロッキー」と同じこともしているだけです。

描くほうにしてみれば「デッサン」や「クロッキー」は、そのものが作品ではなく、作品を描くための習作です。見るほうにしてみれば、これだけデジカメが普及した時代に、見たままにモノを描くという行為は不毛なものに映るでしょう。ただし「人間が描いた」という事実があるから「凄い!」と感じるのであって、デジカメで撮ったものであれば「凄い!」と感じることは無いでしょう。

つまり似顔絵の「リアル派」などというものは存在する意味がないのです。リアルを求めるのであれば写真でいいでしょうし、リアルな絵を求めるのであれば美術予備校に通えばいいでしょう。

デフォルメは写実(リアル)の10倍も100倍も難しいのです。見たものを描くだけはなく、そこに作者のデザイン構成力や表現力、洞察力などが要求されます。そのデフォルメの10倍も100倍も簡単なリアル(写実)しか描けない似顔絵イラストレーターは似顔絵イラストレーターとは言えないでしょう。

自称「リアル派」の似顔絵イラストレーターはあたかも「リアル派」と「デフォルメ派」が対等なようなことを言いますが、これは明らかに対応ではありません。「リアル派」は「デフォルメ派」よりはるかに格下なのです。

「デフォルメ派」は写実(リアル)を描くことはできますが、「リアル派」はデフォルメは描けないのです。

萌絵  2016.3.23
萌絵的なイラストというのは50年前は少女漫画だけの世界でした。それ以前にも「喜一の塗り絵」に代表されるような萌絵の原型とも言える少女漫画風なイラストレーションがありました。

今でこそ萌絵というイラストのカテゴリーは市民権を得ていますが、50年前に少女漫画をはじめて見た男子小学生は「なにこれ!気持ち悪りぃ〜絵!」と思っていたはずです。

少女漫画は実際の人間に比べると目は異様にでっかく、鼻と口は異常に小さく描かなければなりません。そして当時の男子は綺麗とか美しいとか可愛いと感じる以前に「気持ち悪りぃ〜」と思うのは当然のことでした。

また男子小学生でないにしても、漫画とかイラストなどの印刷物はほとんど見たことのない人に、突然少女漫画のイラストを見せたとすれば、「気持ち悪りぃ〜」以前に、見たことない生命体らしき有機体に恐怖と不気味さを感じるのではないでしょうか。

それほどに少女漫画や萌絵は、実際の人間とはかけ離れた特徴を持ち、我々はたまたまそれを見慣れているから恐怖と不気味さを感じないだけなのでしょう。

似顔絵はデッサンではありません  2016.3.12
そして似顔絵を描くということは、人類特有の口の周りや目の周りの筋肉の動きを描くということになります。

犬や猫には残念ながら人間ほど豊かな表情、つまり顔面に細密な筋肉がないので、物理的な個体差を描くことはできても、表情や性格の個体差によって似顔絵を描くことはできません。

似顔絵とはモデルが人間限定のものなのです。

似顔絵は、そのモデルの口の周りや目の周りの筋肉の動きによる表情と、それによって連想される、心境、心理、性格、思考などを 表現するアーティスティックな手段なのです。モデルをモノとして物理的に捉える「デッサン」ではありません。

笑顔  2016.2.25
ただし「不機嫌な顔」をされた場合には、その顔を見た人も不機嫌になります。このことが「争い」や「戦い」に発展することもあります。従って「不機嫌な顔」や「怒った顔」を見た場合には「争い」や「戦い」に発展する前に、「逃げる」「負けを認めて謝る」「なだめて落ち着かせる」などの手段を取ります。

そしてさらに有効なのが「私は悪意を持っていない」「あなたとは友達です」「あなには攻撃しません」という意思表示の表情です。そう、その表情こそが「笑顔」ということになります。「笑顔」は相手を安心させ、嬉しい気持ちに、幸せな気分にさせる、最も有効で、誰にでもできる、しかもタダでできる方法なのです。

人類にはゴリラやチンパンジーではできない高度なコミュニケーション手段である「笑顔」を、もっと頻繁に、もっと大げさに使っていきましょう。

表情  2016.2.12
霊長類は高度に進化するに従って顔の毛が少なくなる傾向にあります。そして顔の毛が少ない真猿類(比較的進化の進んだ猿)の顔の筋肉は、口の周りや目の周りを中心に、非常に細かないくつもの筋肉が存在しているそうです。このことで表情の変化によるコミュニケーションで可能になったとされています。群れの仲間とうまくやる、つまり社会のなかでうまく生きていくために進化したものが表情の豊かさということのようです。

そして最も進化した霊長類である「人類」では、口の周りや目の周りの筋肉がさらに細かく動作させることが可能となり、より微妙で複雑な表情を作ることにより、高度なコミュニケーションができるようになったとされています。

このことにより、例えお互いに言葉が通じなくても、人類は顔の表情だけである程度のコミュニケーションはできるようになっています。たとえば「困った顔」「不機嫌な顔」などというのは万国共通です。

本質-3  2016.2.1
確証バイアスによる「作られたその人らしさ」の実験がオーストラリアで行われました。6人のプロのカメラマンに、マイクという名の同じ男性を、まったく別のプロフィールで紹介し、「彼らしさ」、「彼の内面」を引き出して撮影してもらうというものでした。

マイクは同じ服装、カメラマンの機材も同じ、違っているのは与えられた情報だけで、それらすべてが偽りであった。

それぞれのカメラマンに知らされたマイクのプロフィールは次の通り。①超能力者、②自力で成功した大金持ち、③元犯罪者、④ライフセーバー、⑤アルコール依存症を克服した人、⑥漁師。

結果は想像通りで、マイクの本質や内面から出る「マイクらしさ」より、確証バイアスによる「作られた彼」をより強化する形となってしまいました。

https://www.youtube.com/watch?v=F-TyPfYMDK8

本質-2  2016.1.23
人は、人間の本質や内面から出る「その人らしさ」より、確証バイアスによる「作られたその人らしさ」をより強化する形になってしまうようです。

人はどんなに公正に人を見ようと思っても、事前に知りえた情報や、自分が見た世界だけでその人を判断してしまいがちです。いったんある決断をおこなってしまうと、その後にどんなに正しい情報を得ようと、それを認めようとはせず、自分を正当化するため有利なように解釈してしまいます。

情報が洪水のように押し寄せてくる昨今、情報の取捨選択は非常に困難になっています。あの人はこういう人間とレッテルを貼ることは、一見情報が整理されたかのように見えますが、そう簡単に分類できるものではないのが人間というものです。既成概念にとらわれず、情報に左右されず、その本質を見極めたいものですが、そのためには相応な時間と観察が必要になってきます。

本質-1  2016.1.13
観光地などで似顔絵を描いている似顔絵屋さん。彼らは初対面の人を10分〜30分ぐらいの短時間で描きます。そのこと自体は素晴らしいテクニックであり職人技とも言えます。

しかし冷静になってよく考えてみましょう。その人(モデル)の内面的な部分、本質的な部分が果たして30分でわかるでしょうか?

普通の人間関係や友達関係でも「最初は無愛想なやつだと思ったけど、本当は非常に気配りができる優しい人だった」とか「最初は頭脳明晰で頭の回転が速く、言ってることに説得力があり、リーダーに相応しい人間かと思っていたが、結局自分が目立ちたいだけだということが最近わかってきた」などというように、その人の本質がわかるまでには長い時間を要するはずです。

従って観光地の似顔絵屋さんは、モデルの顔の表面的な特徴は捉えていますが、決してその人の本質、内面、人となり、の部分は捉えきれないていないのです。似顔絵の醍醐味は、本質、内面、人となり、を表現することなのです。

マスク  2016.1.6
化粧以上に似顔絵の意味がないのがマスクです。さすがに俳優や歌手でマスクをつけたままの人はいませんが、プロレスラーには少なくありません。古くはザ・デストロイヤー、ミル・マスカラス、日本人ではタイガーマスク、獣神サンダー・ライガーなどですね。

ちなみに日本を訪れた外人は日本人のマスク率の高さに驚くそうです。伝染病が流行っているわけでもPM2.5のような深刻な大気汚染があるわけでもないのに。

日本人のマスク好きには単一民族国家特有の考えがあるようです。まず基本的に顔に自信がない→できれば隠したい→目を隠すと見えなくなるので口と鼻は隠そう→インフルエンザの予防と言えば誰も文句は言わない。といったようなアルゴリズムなのでしょう。プリクラや自撮りが流行る以前の年配の人は、今でも写真やビデオが苦手のようで、不意にカメラを向けると顔を覆い隠して逃げていきます。

マスクは明らかに不審で怪しい印象を与えます。しかし日本は治安が良すぎるために多少の怪しいヤツがいても、実際に悪いことはしないであろうという安心感があるのかもしれません。

しかし昔のツッパリ(今でいうヤンキー)の多くはマスクをしていたようです。

化粧  2015.12.25
化粧の濃い顔は描きにくい。というのも描いているのがその人の顔の皮膚ではなく、化粧で覆われた化粧品の物質の表面ということになるからなのです。それでもマツコデラックスや叶姉妹のような普通の濃い化粧であれば何とかなります。どうにもならないのが、化粧というよりか模様とか柄とか絵に近いものです。

例えば歌舞伎の隈取りのような顔になってしまうと、顔を描くというより模様を描いてるということになり、その模様さえ丹念に描けば誰が描いても似ている似顔絵になります。有名人では、デーモン小暮、ダルビッシュ研二、鉄拳、アジャコング、KISSなどです。

仮にデーモン小暮の化粧している顔を描いても「上手いね」と言われることはあっても「似てる〜」と言われることはありません。従ってデーモン小暮の似顔絵を描くという行為にはあまり意味がありません。だからと言って化粧をしてない素顔はほとんど知られていないので、身内以外には似ているかどうかの判断もつきません。従ってこちらもあまり意味がありません。

ドッペルゲンガー  2015.12.18
地球上には自分に似た人は最低でも3人はいると言われています。そしてその自分に似た人を偶然に発見してしまうこともあり、そのことがニュースになったりもしています。

しかし似顔絵という切り口で考えていくと、このドッペルゲンガーは単なる偶然ではないことが解ってきます。例えば自分と目もとがそっくりの人は、恐らく1000人は一人ぐらいはいるでしょう。そして口もとがそっくりな人も1000人は一人ぐらいはいるでしょう。さらに顔の輪郭がそっくりな人というのは100人に一人ぐらいでしょうか。そうなると1000×1000×100=1億、つまり1億人に一人は目もとと口もとと顔の輪郭もそっくりな人がいるということになります。

では鼻は?耳は?眉は?ということになりますが、目と口がその人と判別するための重要なパーツだとすると、鼻や耳は単なる「穴」です。そして目もとと口もとと顔の輪郭が決まれば自然と鼻のかたちは決まってきます。胎内で顔の形が形成されていく過程で自然の流れに従った場合にだいたい同じような形になるのです。これは耳や眉も同じです。そして耳は髪に隠れることもあるので全て露出しているとは限りません。眉は人工的にかたちを整えたり加工することも可能です。

従って目もとと口もとと顔の輪郭もそっくりな人がいたとすると、その人はほぼドッペルゲンガーということができるでしょう。ということは世界中に自分とそっくりな人は3人ではなく(世界の人口が70億とすると)70人ぐらいということになるでしょう。

似顔絵の歴史-10  2015.12.13
同じ似顔絵イラストレータであっても、モデルとなる人間が変われば、そのモデルに応じて表現したい部分、訴えたい部分が変わってきます。もちろん画材や画風も変わってきます。

分かりやすい例を挙げるならば「戦国武将のようなおじさん」を描く場合には筆と墨で一気にアウトラインを描く。「妖精のような女の子」であればパステルと色鉛筆を優しく重ねながら丁寧に描き込んでいく、というようなことです。これが逆の描き方では相応しくないということは容易に想像できるかと思います。

またモデルによって手描きとCGを使い分けたり併用したりすることになります。顔そのものを大幅にデフォルメする場合もあれば、絵全体としてのシチュエーションやストリー性によって描かれる側の個性を表現する場合もあります。このことは本書の作品において、その真相を見ることができるかと思います。

似顔絵の歴史-9  2015.12.3
従ってその「商品としての価値」を維持するために、似顔絵としての技術をブラッシュアップしたり哲学を模索するよりも、作者自身を過剰に宣伝し知名度を高めたほうがビジネスとしては手っ取り早いということになります。もちろんこのアプローチはビジネスとして成功したとしても作品のクウォリティやオリジナリティの向上には貢献しないことになります。

前記したように描く側の思い入れや感じる部分が表現されることは大切ですが、それは描かれる側の個性によって捉え方や感じ方、表現方法が異なるはずです。それを描く側の「ひな形」に無理にはめ込んでしまうのは、似顔絵としての可能性の芽を自ら摘んでしまう行為です。

世界中に存在する実に多種多様でバラエティに富んだ人間。その一人ひとりがそれぞれ固有の特徴やキャラクターを持っています。これを一人の作者によるひとつの描き方で全て網羅することは普通に考えて不可能なはずです。従って「描く側」である似顔絵イラストレータは、常に新しい技法、表現方法、モデルとのコミュニケーションを追求し、よりリアルで且つオリジナリティのある「人間の存在感」を追求していかなければなりません。

このアクティビティを意識し続ける似顔絵イラストレータであれば、作品の中に自ずと質の高い魅力的なオリジナリティが産まれてきます。そしてそのような複数の似顔絵イラストレータが同じモデルを描いた場合には、それぞれが感じた部分、表現しようと思ったポイントは自然と異なり、結果として実にバラエティに富んだ作品群が創造されることでしょう。

似顔絵の歴史-8  2015.11.23
以上、似顔絵の歴史とは、冒頭に書いたように似顔絵というもの自体の定義が不明確であるため、的確な説明をするのは現状では不可能です。またCaricature(風刺画)についてはコミックや新聞などの歴史に沿って調べることで、ある程度の流れを説明することは可能かと思います。平安時代に描かれた「鳥獣戯画」も「風刺画」と言えるかもしれませんし、明治時代の日本人を描いたジョルジュ・ビゴーなども有名です。

しかし似顔絵はあくまでも風刺画とは一線を画しています。技法的に共通する部分は少なくないのですが、コンセプトは明らかに異なります。風刺画は「作者」と「見る人」とのコミュニケーションに重点を置き、似顔絵は「描く人」と「描かれる人」とのコミュニケーションにより創造された成果物を「見る人」へアウトプットするものです。

似顔絵イラストレータの中には、自分の画風や技法を確立し固定した上で、その「ひな形」にモデルを当てはめていくような描き方をする人がいます。これはビジネスプロモーションとして考えると効率的で無駄の少ない方法です。しかしこの方法で描かれた作品は、描かれた側の人としての個性やオリジナリティよりも、描く側の技法やそのパターン化されたプロセスが前面に出てきてしまい、似顔絵としての本来の魅力は半減します。作者の知名度が高く「◯◯さんに描いてもらった!」という事であれば、その作品は「商品としての価値」が高くなりますが、その「◯◯さん」が有名でなければ、その「商品としての価値」は決して高いものではなくなるでしょう。

似顔絵の歴史-7  2015.11.18
キュビズムの概念の1つに「異なった時間を1枚の絵で表現する」というものがあります。人間の顔の正面と側面(横顔)を1枚の絵の中に同居させてしまうという構成方法です。これは鉄道や自動車の登場によってそれまでにない速さで視野が移動することから派生した技法です。そして前記の写真同様に、この時代には絵画の中に「時間」という概念が組み込まれていきました。

シュルレアリズム(超現実主義)の時代になると、より一層似顔絵に相通ずる要素を持った作品が数多く生み出されるようになります。この時代では、作者の印象や感情によってモチーフの捉え方が変わるだけではなく、作者が意図した思考や偏見によって、遊戯心やアイロニー(皮肉)を含めた自由で多彩な表現がされるようになったわけです。

サルバドール・ダリが描いた「ピカソの肖像」を見ても分かるように、本来ダリから見ればピカソは偉大で尊敬できる先輩であるはずですが、この絵からはリスペクト(敬う)の念は感じられません。嫌悪とまではいきませんが「おちょくってる」「からかってる」表現のように思えます。実はこの思考と表現こそが似顔絵の真骨頂とも言える部分なのです。 しかしダリもさすがにピカソに怒られると思ったのでしょうか、自らをベーコンにした自画像も描いています。

似顔絵の歴史-6  2015.11.10
例えば印象派以前の肖像画の多くは、モデルをより忠実にリアルに再現することが要求され、その人物の地位、品格、権力を示すためにモデルは相応の衣装やアクセサリーを身につけていました。その衣装やアクセサリーを含めて忠実に描写することがそのモデルになった人物の権威やステータスを表していたのです。

これが印象派以降になると、モデルの品格や権威を含めたキャラクターを表現するためには、モデルの衣装やアクセサリではなく、画家の感性や表現力に委ねられるようになってきます。同時に皇室や貴族ではなく、一般人がモチーフとなることが多くなり、その中から独創性の高い作品が数多く創出されるようになりました。このことで現在の似顔絵に通ずるエッセンスが少しずつ復活してきたわけです。

その後のキュビズム※要解説文/例:(ピカソなどが登場した20世紀初頭)の時代に写真機が登場し、一瞬にして人間の顔を2次元に焼き付けることができるようになりました。このことで画家たちは必然的に写真との差別化を迫られ、その新しい表現方法と価値観を模索せざるを得なかったわけです。さらに写真機が進化すると、人間の目では捉えることのできなかった1秒の何十分の一の「瞬間」が紙に焼き付けられるようになり、それまではモデルに何日も同じポーズをさせて観察しながら描いていた絵画に対して、色々な意味で新たな展開のためのトリガー(引き金)になったのではないかとも想像します。

似顔絵の歴史-5  2015.11.06
話を歴史に戻します。古代ギリシャやローマ時代になると、多くの職人が職人の技術を用いて作品を制作することで、そこではモデルになった人間の個々の特徴や内面を表現することより、作品としての存在感や完成度が優先されるようになり、似顔絵的な要素は必要とされなくなってきました。

人類が始めて絵を描こうとした、または粘土で人形を作ろうとした、ある一定の限られた期間。そこには似顔絵に通じる感覚やエッセンスがあったはずです。しかしその後に登場した職人たちにより、似顔絵的な感性は徐々に忘れ去られ、後の印象派が現れるまでの長い間、リアリズムが台頭する中で似顔絵は埋没したままとなってしまいました。

ではなぜ印象派なのでしょうか。それは印象派によって、大雑把に言えばリアリズムから次の展開が切り開かれたからです。もちろん、そのことが直接的に似顔絵に連動しているわけではありませんが、少なくとも似顔絵を描く場合に必要なエッセンスが改めて見直される方向にあったのです。もっと雑駁に言えば、肖像画の主流が職人の時代からアーティストの時代になったということでしょう。技法やクウォリティの高さ、細密な描写を訴求する時代から、人間の内面や一瞬の表情を優先するようになったとも言えます。

似顔絵の歴史-4  2015.11.03
それは、今まで似顔絵は描いた経験がなくて絵が上手い人は、似顔絵イラストレータに不向きであるということです。絵が上手いということはスキルが高いということになります。スキルが高いということは、そのスキルを習得するために多くの時間を費やし、多くの作品を描いてきたということになります。つまり職人なのです。職人は自分が身につけた技を信じプライドを持っています。だから簡単にはその技を修正しようとしないし、すぐには修正できないものなのです。

具体的な例を挙げると、アニメキャラのイラストがプロ並みに上手い学生がいたとします。しかしその学生が描く似顔絵は、どうしてもアニメ風の目、口、顔立ちになってしまいます。自分の中で目、口、顔のテンプレートが確立されていて、そのテンプレートから脱却できなくなるためです。所謂アニメ職人になってしまっているのです。

同様にデッサンの上手い学生は、見た物を忠実に再現する技には長けているものの、モチーフの中の特徴的な部分を見いだし誇張して描く、または目に見えない内面的な部分を表現するということが苦手であったりします。こちらもデッサン職人、描写職人ということになり、その職人技から逸脱することを自然と拒むようになってしまっているのです。

似顔絵の歴史-3  2015.10.30
そしてその技法が伝承されながら数を作っていくうちに、さらに制作するために都合の良い形状に変化していきます。その過程は効率良くリスクの少ない形状に移行していくと同時に、「特定の個人の顔」ではなく万人が見てそれと分かる「典型的人間の顔」へと変化していきます。ここでは抽象的なフォルムを創造していくセンス、象徴的な形体に簡略化していくロジックなども加味されていったように思われます。これは現在のインダストリアルデザインの変遷に近いものがあります。

その後、絵画も彫刻もその素材や加工技術が進化し、作り手のスキルも向上してくると、より人間の顔に近い作品が産み出されるようになってきます。しかしこのことで似顔絵に通じるエッセンスは段々と希薄になり、似顔絵に近い作品が生まれる可能性も徐々に低くなってしまったようです。

その理由を説明する前に、似顔絵イラストレータを育成するための重要なポイントを紹介しておきます。

似顔絵の歴史-2  2015.10.26
そしてその簡略化やデフォルメの度合いや表現方法は、作者の思考や感情、洞察力によって大きく左右されるはずです。実はこの思考や感情、洞察力が似顔絵を描く為の、また似顔絵というものの存在意義を確かめるための、極めて重要なファクターになります。つまり古代における人間をモチーフにした原始的な絵画や彫塑は、その誕生と同時に似顔絵としての要素を含んでいたということになります。

古代オリエントやマヤ文明、古代メキシコなどの彫像、日本の縄文時代、弥生時代の土偶を見ると、実に個性的な顔であったり、ひょうきんな表情のものがあります。恐らく作者は誰かの顔を見ながら、または思い出しながら一生懸命似せようとして作ったのでしょう。ところが素材の再現性には限界があり、作者のスキルも未熟だったことから、だんだんと最初のイメージとは異なるものになっていき、ある時点からは「似せる」という目的を忘れ、または方向転換して、その時々での条件の範囲で製作可能な作品へと変化していったのではないかと想像します。

似顔絵の歴史-1  2015.10.22
世界の歴史の中で、似顔絵がいつどこで発祥したのかというと、これは考え方次第では「人類が人間をモチーフにして絵を描いた最初の瞬間」と言うことになります。

見たものをそのまま平面上に描きたいという欲求は古代より人類共通のものでもあったようです。時にその目的は、仲間に獲物の場所を知らせたり、身の周りに迫った危険を知らせるという生存に関わるものから、神を崇めたり瞑想することの道具として、また描くことでの達成感や仲間から崇拝されることなどが想像できます。

もちろん古代においては、透視図法も遠近法も確立しておらず、画材や顔料も原始的なものだったはずで、見た物をそのまま描くというより、そのモチーフの特徴的な部分をアウトラインだけで表現するというところから絵というものが始まったようです。そしてこの行為は、ある意味、効率の良い簡略化であり高度なデフォルメとも言えます。

子どもを描くのは難しい  2015.10.17
①シワが少ない。
生まれてから時間が経過していないので劣化が少なく、つるんつるんでシワが少ないので目鼻口といったメインパーツ以外に陰影をつける箇所がありません。また大人であれば物理的劣化の他に、経験や歴史が顔に刻まれていくのですが、そういった刻みもありません。その他、たるみやシミも無いので個性が表現しづらいのです。

②成長してしまう。
せっかく描いた似顔絵もすぐに過去のものになってしまいリアルタイムで似ている似顔絵として使えなくなります。すぐに「過去の思い出」になってしまいます。

③「素」で生きている。
大人は社会に適応するために「素」の部分を隠して我慢しながらネコを被って生きています。その化けの皮を剥がして「おまえはこうだ!」という「素」の部分を描くのが似顔絵の醍醐味です。子どもは、そもそも隠している部分の無いので「おまえはこうだ!」という似顔絵が描けません。

美男美女は所謂標準形  2015.10.16
とはいえ美男美女の基準は多くの先進国においては所謂「標準形」であるようです。標準形に近ければ近いほど、整った顔立ち、容姿端麗な顔ということになります。逆に言えば「無個性」、「没個性」ということでもあります。似顔絵を描くという視点から見れば最も「描きづらい」のが全く個性の無い顔であり、それはつまり「整った顔」であり「容姿端麗」な顔なのです。

かの山藤章二氏が「オレは美人は描けない」と言ったとか言わないとか。もし本当に言ったとしたら、似顔絵師としては最低でしょう。どんなに下手くそな似顔絵師でも現場で描いている似顔絵師はモデルを選ぶことはできません。容姿端麗な美男美女が似顔絵を描いてもらいに来ることだってあります。そして美男美女というのは個性的なブサイクに比べれば10倍も100倍も難しいのです。

無個性な標準形の顔の中から「個性」と「特徴」を何とかして探し出して描かなければいけません。そのためには深い洞察力と機転と編集力が必要です。個性的な顔の政治家や落語家ばかりを描いたところで「そんなもん、誰でも描ける」ということです。本当に実力のある似顔絵師はジャニーズもAKBも描き分けることができるのです。

美男美女の基準  2015.10.11
美男美女の基準には個人差があります。育った環境や住んでる地域によっても異なってきます。例えば母親が熱烈な、ある映画俳優のファンで、その俳優がTVに出るたびに歓声を上げていたとすれば、その母親の子供は、その俳優が「かっこいい」「イケメンである」というふうに自然と刷り込まれていきます。

南国のある島では、女性は太っているほうが美しいとされていて、そのことがその島民の常識となり、島民は普通に「女性は太っているほうが美しい」と思っています。

エチオピア先住民族スーリー族は下唇に木のコースターのようなものを入れて、そのコースターの面積が広ければ広いほど美人とされています。

ミャンマーやタイの山間部に居住している首長族は、村落内の選ばれた女性が首に金色の真鍮リングを纏っていて「首が長く見えるほど美しい」とされています。

黒人を描く-2  2015.10.10
ではどうしたらいいのでしょうか?かなり高度なテクニックが必要になりますが、まずは肌の色は無視して、立体として陰影だけで捉えるということになります。色というものは、その物自体が最初から保有しているものではなく、光の反射によって見えてくるものです。ということを理解しておけば何とかなるでしょう。

つまり肌の色が真っ白な人でも光の少ないところ(暗闇など)では決して白くは見えないのです。光が少ないと陰影もなかなか見えず、立体を捉えることが難しくなります。そんな中で絵を描かなければいけない場合には、作者は目をこらして少ない光を懸命にすくい上げて立体を表現しようとします。

黒人を描くときにも同じことをすればいいのです。肌の色は一旦置いておいて、立体を捉えることに注力する。そうすればきっと上手くいくでしょう。デッサンの基礎を勉強するための石膏像は、できるだけ立体が解りやすいように「白」で出来ています。その石膏像が「黒」であっても、難易度は上がりますが、描けなくなるわけではありません。

黒人を描く-1  2015.10.09
黒人という言葉自体が差別的に捉えられることがあります。しかし似顔絵の場合、肌の色が黒い人を白く描くわけにはいきません。特に西アフリカの人の中には本当に真っ黒な肌の色をした人もいます。そこを強調してより黒く描くのか、または差別に考慮して黒さを加減して描くのかは悩ましいところです。前者の場合、描かれた人が激怒したという例も実際にあるようです。また肌の色が黒い場合には、顔の中の立体感が表現しづらくなってきます。白目と歯の白さと肌の黒さとのコントラストが際立ってくるので、陰影(明度の変化)で表現する目鼻、頬、額、顎などの形の個々の特徴が、白目と歯の白さと肌の黒さとのコントラストに負けて見えなくなってきます。

標準を知らなければいけない  2015.10.08
日本人が突然街で外人(アングロサクソン・白人)に出会ったとします。そしてそのその外人は彫りが深く、鼻が高く、顔の幅が狭いというところが目がいきます。しかしその外人の鼻は、白人の中でも高い方なのか、白人にしては低いのかは全く見当がつきません。彫りの深さや顔の幅についても同じようにわかりません。ところが似顔絵を描こうとした場合には第一印象の鼻の高さに目がいってしまい、その外人の個性が「鼻が高いこと」と思い込んで、鼻の高さを強調した絵を描いてしまいます。

これはでは似顔絵にはなりません。「似アングロサクソン絵」なってしまいます。「アングロサクソンの標準」を知らなければ、その白人の個性は表現できないということになります。同じように生まれたての赤ちゃんを描く場合も、生まれたての赤ん坊の特徴の方が目立ってしまい、その赤ちゃんの個性がどこなのかは、あまりわからないまま描いている場合の方が多いようです。ここでも「産まれたての赤ん坊の標準」を知らなければ、その赤ちゃんの個性は表現できない、ということが言えます。

しかし幸いにして「赤ちゃん」の場合は、とにかく可愛く描いておけば、似ていようがいまいが「か〜わいい♡」と言って、両親は満足して帰っていきます。

多民族国家での難しさ  2015.10.07
アメリカやヨーロッパなどの多民族国家においては、まずは人種が忠実に再現されているかということが優先されます。自分とは異なった人種に描かれることは、どんなに本人に似ていてもNGなのです。

実際の体験談になりますが、食品のパッケージに使うイラストでシルクハットをかぶったイタリア人をモデルにして描いたところ「これではユダヤ人みたいだ!」と言って、そのイタリア人は非常に憤慨しました。似ているかどうか以前の問題だったのです。日本人から見れば、ユダヤ人のどこが悪いの?という感じですが、彼にとっては大きな問題だったようです。

これは単一民族国家の日本においては感覚的に理解しがたいことでもありますが、逆に言えば、単一民族であり、髪や目の色が同じ中で個々を判別する表現が似顔絵ということにもなるのでしょう。

似顔絵とは?  2015.10.01
似顔絵という単語は英語ではPortrait(ポートレイト)、又はCaricature(カリカチュア)と訳されことが多いようです。Portraitは肖像画、Caricatureは風刺画という意味で、それぞれ似顔絵とはイコールではありません。似顔絵は日本のような単一民族国家独特の文化とも言えます。例えばアメリカ人の似顔絵を描く場合に、描かれた人間が自分に似ているかどうか判断するポイントは、肌の色、目の色、髪の色であり、表情や内面的な描写はあまり気にせず、基本的に外見的なリアリティを求めているようです。

このことはCaricature(風刺画)の描き方を見てもわかりますが、デフォルメはされていても、髪や目の色、ヘアスタイルなどは基本的にモデルに忠実です。


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