童謡


童謡の歌詞の中には実に不思議なものが多い。もの心ついたときから半ばマインドコントロールで記憶させられているため気が付かないのだが、あらためてその意味を考えつつ復唱してみると色々と奇妙な点に気付く はずである。

例えば、夕焼けこやけの「こやけ」とか、仲良しこよしの「こよし」とは一体何なんだろうか?夕焼けは夕日で空や雲が赤く染まった景色であるが、「こやけ」というのは何処か夕焼けの他に焼けている部分があるのだろうか?「こやけ」というからにはそう大きく焼けている訳ではなさそうなのだが。「こよし」のほうは想像するに仲良しほど仲がいいわけではないが、きらいとかウマが合わないというほどでもない友人を意味するのであろう。

「くつがなる」というのがある。「靴が鳴る」と書いてよいのだろうか?なぜ靴が鳴るのだろうか?今どきのエアーマックスを履いた小学生が野道のアンツーカーよりかは柔らかいと思われる地面の上を歩いた場合音の出る要因は考えずらいのではないか。昔の小学生であったとしてもピーピーサンダルでもない限り特に音は出ないのではないか。しかも全員が手をつないで歌を唄っていても聞こえるほどの大音量で靴が鳴るのである。

さっちゃんの本名は「さちこ」で恐らく「幸子」と書くのだろう。両親が不幸で貧困に喘いでいる家庭では この子は幸せになるようにと願い「幸子」と命名する場合が多く、それゆえバナナを一度に一本たべてしまうことは許されず、また借金の返済に追われ一所に定住できずに近所の人が「ほんとかな?」と思っているあいだに一家揃って夜逃げをするのである。後にさっちゃんが大人になったときに作られた歌が「赤色エレジー」である。

どんぐりはお池に「はまった」とのことであるが、相当にでっかいどんぐりであった。池のほうもどんぐりの 半径以上の深さが必要とされる。

うみにおふねをうかばして、行ってみたいなよそのくに。行ってみたいのはいいけれど海外に行くにはそれなりの手続きがいるんですよ。不法入国はいけないですよね。

おおきなくりの木の下で、なぜ「くり」なのか。春にはおぞましい臭気を放つ花粉に耐えなければいけない。 夏には栗の木につく害虫に気をつけなければいけない。特にイラガの幼虫などは触ったら最後、とても仲良く遊んでなどいられない。秋にはもちろん栗のイガが地面に落ちているし、運が悪ければ落下してくるイガが 脳天を直撃することもある。大きな木の下で遊ぶのであれば「くり」は避けたほうがよいと思うのだが。

いぬのおまわりさんは「いぬ」であるが、いぬの訓練士は「人間」である。この歌がなければいぬのおまわりさんって警察犬のことかな?とか、警察のイヌドモが!と思う人もいるのでは?いずれにしても迷い猫の処理を犬に任せても埒が明かない。埒が明かないといえば読まずに手紙を食べあうヤギさんたちであろう。こういう人(ヤギ)こそもっとE-mailを有効に使うべきである。

「おはながわらった」というのがある。知らない人もいると思うので歌詞を全部紹介すると「おはながわらった(これを4 回繰り返す)みんなわらった いちどにわらった」これが一番、二番は最後の「いちどに」を「げんきに」に差し替えるだけ。シュールな歌である。こわいよ〜。

こわいの極め付けはやはり「あかいくつ」であろう。何がこわいかといえばいきなりマイナー調で始まること、異人さんが正体不明であること、ちゃんとした理由も説明されないまま連れて行かれちゃうことである。 そしてその一連のストリーの中で赤い靴という小道具的な部分がクローズアップされ象徴的に描かれていることでさらに怖さを増している。横浜の波止場という固有名詞が唐突に出てくるのも不思議である。なぜ横浜なのか?長崎であった場合神戸に着いてしまうかもしれないからか?異人さんはナニ人なんだろう?なんとなくオランダ人のような気もするがモロッコ人とかコロンビア人であったらもっとこわいし旧共産圏だとしても けっこう怖い。想像するにタイガーマスクのミスターX みたいな服装をしているのだ。そして虎の穴に連れて行かれ覆面女子プロレスラーにされてしまうのだ。やはり思った通り人身売買ではないか!

そして赤い靴の女の子の見返りとして日本の港にやってきたのが青い目をしたお人形である。ここでは何処の港に着いたのかは謳っていない。アメリカ製のセルロイドであるため焼却処分する際に有毒ガスが発生するため環境保護団体の抗議行動を恐れ、停泊する港がどこであるか公開しなかったのである。さらにこの人形は青い目から涙を流すという怨念が宿ったものである。きっと髪の毛も伸びるに違いない。

いろいろとイチャモンをつけてきたが童謡全体に言えることは今の時代には当てはまらないものが何の修正もされずにそのまま歌いつがれているということだ。もちろん著作権は尊守しなければならないが子供に時代錯誤の概念を植え付けるのもどうかと思う。上記でも分かるとおり外国に行くといえば必ず船というこになっているし、例えば「たきび」という歌ではたき火自体を奨励している。いまどきたとえ自分の土地の中であっても苦情なしでのたき火はむずかしい。「おもちゃのチャチャチャ」では鉛の兵隊がトテチテタしたりするが 鉛は有毒物質であるし、だいたいいまの子供のおもちゃといえばスーファミのソフトである。「おはなしゆびさん」という歌では、「このゆびパパ ふとっちょパパ」ではじまりこのパパは「やあやあやあやあワハハハハハハ」とおはなしをする。そして「ママ」は「まあまあまあまあホホホホホホホ」、「にいさん」は「オスオスオスオスへへへへへへへ」、「ねえさん」は「アラアラアラアラウフフフフフフ」となっている。さいわい人間の指の数には限りがあるが、仮に「じいさん」ゆびは「ゲホゲホゲホゲホアグググググ」、「ばあさん」ゆびは「ヒホヒホヒホヒホナンマイダ〜ナンマイダ〜」になってしまうではないか。


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